注文

お酒は、色々な銘柄をいろいろ試したいと、思わないわけではないけど、それでも大体いつも同じものばかりを注文しがちだ。お店にもよるし、何を食べるのかにもよるが、だいたいこれまで何度も通っていて、滞在時間も短くて、一、二杯で数皿ぱぱっと呑んで済ませるような店のときは、飲み物はいつも判で押したように同じものばかりの注文になる。失敗を避けたい、安全パイを選びたいという味覚的保守感覚とも言えるのかもしれないが、先日僕の注文を受けた店主が、これはお客さんがいつも注文するから、ほとんどお客さんのために仕入れてるようなものだよと言うので、いやいや、さすがにそんなことないでしょうとおどろいて相手を見た。でもたしかにこの狭い店で他の客がこれを注文してる声を聞いたことがないし、大して人気が高くないことはわかる。でもいや、さすがにゼロじゃないよ?ちょっとは出るけどね、と店主。でもほんとうに、お客さんほど来る日も来る日もこればっかり頼む人っていないんだから、ほとんど専用の酒だよと言われて、こちらは苦笑いしつつ、いやー…まあ実をいうと自分も、薄々そうかもしれないとも思ってたんですけどね・・と応えた。それを聞いた店主は笑って、いや、お客さんがもしこの酒を頼まなくなったら、うちもこれ取り扱いやめようかなと思ってさあ、いっつも頼んでくれるから仕入れるけど、まあ他にも酒の数なんて数えきれないくらいいろいろあるしね、とかなんとか、遠回しに「もうこれ呑むのやめたら?」的なプレッシャーをかけてくるので、ちょっと…何だそれは、まるで自分ひとりのせいで店が困ってるみたいな雰囲気の話やめてくれます?という感じなのだが、まあこれを機にやめるのも吝かではない。というか、いつも同じ酒を注文するもう一つの理由としては、注文しやすい(間違えられない、忘れられない、言わなくても出てくる)点が、あるとも思う。

反抗

戦争に反対するというのは、ほとんど戦争するようなものである。以下の話は、自分にはとても身につまされる。想像上の自分もやはり同じような屈辱のなかにある気がする。反抗の困難。

しかしこうして無為に眺め暮らしているうちに、私はだんだん自分の惨めさが肝にこたえて来た。船は明日にも解纜するかも知れない。死は既に目前に迫っている。この死は既に私の甘受することにきめていた死ではあるが、いかにも無意味である。
 私はこの負け戦が貧しい日本の資本家の自暴自棄と、旧弊な軍人の虚栄心から始められたと思っていた。そのために私が犠牲になるのは馬鹿げていたが、非力な私が彼らを止めるために何もすることができなかった以上止むを得ない。当時私の自棄っぱちの気持では、敗れた祖国はどうせ生き永らえるに値しないのであった。
 しかし今こうしてその無意味な死が目前に迫った時、私は初めて自分が「殺される」(傍点)ということを実感した。そして同じ死ぬならば果して私は自分の生命を自分を殺す者、つまり資本家と軍人に反抗することに賭けることはできなかったか、と反省した。
 平凡な俸給生活者は所謂反戦運動と縁はなかったし、昭和初期の転向時代に大人になった私は、権力がいかに強いものであるか、どんなに強い思想家も動揺させずにおかないものであるかを知っていた。そして私は自分の中に少しも反抗の欲望を感じなかった。
 反抗はしかし半年前、神戸で最初に召集を覚悟した時、私の脳裏をかすめた。かすめたのはたしかにそれが一個の可能性にすぎなかったからであるが、その時それが正に可能性に終った理由を検討して、私は次のことを発見した。即ちその時軍に抗うことは「確実に」(傍点)殺されるのに反し、じっとしていれば、必ずしも招集されるとは限らない、招集されても前線に送られるとは限らない、送られても死ぬとは限らないということである。
 確実な死に向かって歩み寄る必然性は当時私の生活のどこにもなかった。しかし今「殺される」(傍点)寸前の私にはそれがある。
 すべてこういう考えは、その時輸送船上の死の恐怖から発した空想であった。空想はたわいもないものであるが、その論理に誤りがあるとは思われない。
 しかし同時に今はもう遅い、とも感じた。民間で権力に抗うのが民衆が欺されている以上無意味であるのにもまして、軍隊内で軍に反抗するのは、軍が思うままに反抗者を処理することができる以上、無意味であった。私はやはり「死ぬとは限らない」という一縷の望みにすべてを賭けるほかはないのを納得しなければならなかった。
 私はいかにも自分が愚劣であることを痛感したが、これが理想を持たない私の生活の必然の結果であった以上、止むを得なかった。現在とても私が理想を持っていないのは同じである。ただしこの愚劣は一個の生涯の中で繰り返され得ない、それは屈辱であると私は思う。

大岡昇平「出征」

JOY

山下達郎の八十年代のライブをまとめたアルバム「JOY」収録の「蒼氓」がシャッフルで再生されて、思わず引くほど生々しい八十年代の空気に身を包まれたような錯覚をおぼえた。後半の、客に曲のフレーズを延々とリフレインさせるところ。途中で歌を止めて素の声に戻った山下達郎が「一緒に歌ってください、どうか皆さん、ぜひご協力を…」とわざわざ客にあらかじめお願いして一生懸命に煽って観衆の声を高めようとがんばる、しかし一応リフレインにはなるけど、なんとなく熱が低いというか、言われたからやってる感、歌わせられている感ありな、学校の音楽の時間、先生に歌え歌えとうるさく言われて、仕方なく歌ってる子供みたいな。チープ・トリックの78年武道館とはえらい違いで、それは音楽の種類も観客も時代も違うから。…でもそうだろうか。この天然の消極性、羞恥感覚、場慣れしてない場所では決してリラックスせず楽しさに身をまかせることもない身体感覚。そのくせ、コンサートが終わった後の、電車の中や飲み屋の席では「ほんとうにサイコーだった」とか、顔を上気させて連れに話してるような、精神的な緩急のおとずれかた。そこに八十年代を感じる。なんか自然じゃない、そのアンバランスに自分自身が気付けてない感じ。昔は、なさけなくてカッコ悪かった。昔の若者は、カッコ悪かったし、スーツ着た会社員たちも、カッコ悪かった。女も、のきなみカッコ悪かった。そういう人たちが、揃ってコンサート会場に集っていた、ときには僕もどこかにはいたのかもしれない、八十年代。

BlueTooth

先日買った防水ウォークマンBlueToothが付いているので、音楽ファイルをインポートすれば音楽プレイヤーにもなるし、BlueToothをONにすればワイヤレスイヤホンにもなる。ということは、水泳しながらApple Musicの膨大なライブラリ内音源を延々シャッフル再生することももしかしたら可能ではないかと、そこに期待して今日プールで実験してみた。iPhoneはタオルにくるんでプールサイドの棚に置いておき、プール内でBlueToothをONにする。するとあっさりiPhone音源を聴くことができた。やった、これで電車内だろうが水泳中だろうが関係なく…と思ったけどそう上手くは行かず、まあ概ね予想通り、水中に頭を入れてイヤホンが水中に没するたびに通信が遮断される。正確にはイヤホンの右側が水没すると遮断される。BlueToothの受信部がおそらくそこにあるのだろう。息継ぎで水から上がった顔を右に向けると、きちんと音声が聴こえるが、水中に戻ると遮断される。それがまるで、光を手で遮っているかのように、律儀なくらいにきちんと遮断される。無線通信ってほんとうに水は通さないんだなとわかった。もちろんずーっと顔を水面に上げっぱなしであれば、音は遮断されない。25メートル先まで行っても遮断されなかったので、距離的にはまったく問題ないこともわかった。しかしさすがにずっと頭を水面に上げっぱなしで泳ぐわけにもいかないので、ここで実験終了。通信技術のさらなる発展によって、いつか電波が水中にも十分に届く日まで待つしかない。あるいは細いアンテナ線を立てて、それが常に頭から水上に突き立ってるようにするとか…。

ストーリー・オブ・マイライフ

Amazon Primeグレタ・ガーウィグ「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」(2019)を観る。僕は原作は未読だが「若草物語」そのものというよりも、おそらくは原作のエピソードと登場人物の娘たちが実家を出てからのエピソードとが巧みに混ぜ合わされているのだろう。物語やその背景や各登場人物の造形はすごくふつうというか、南北戦争時代のアメリカが舞台で風景や衣装はよく出来ているが、その時代っぽい手触り感は控えめで、姉妹や周辺の人間関係を中心にまとめられたわかりやすいドラマで、しかしふたつの時間がかなり目まぐるしく切り替わりながら平行して描かれていく。語り方というか話の運び方がすごく現代ドラマ的というか洗練されている感じ。

印象的なのは次女ジョーを演じるシアーシャ・ローナンのやけに頼もしい雰囲気。伯母役はメリル・ストリープで、伯母とジョーは、ものの考え方的は正反対というか、旧来型である伯母に対してジョーが来たるべき新たな女性像イメージを背負っているのだろうけど、シアーシャ・ローナンの堂々とした顔を見ているうちに、この人は母親よりもむしろ伯母の方に近づいていくんじゃなかろうかと、このまま行くとシアーシャ・ローナンも早々にメリル・ストリープみたいになってしまいそうだ。

まあ、ローラ・ダーン演じる母親が、あまりにもものわかりの良い、如何にも進歩的かつ柔和な母親に過ぎるところもあるし、女の幸福は金持ちの男との結婚というのが伯母の信条で、ジョーは(色々あったけど)独身で生きることを選び、著作権や印税率についても出版社相手に堂々交渉するような小説家としての自立を目指すわけで、たしかに両者の方向性は違えど、ぼんやりしてるだけではダメよ!みたいな、よりしぶとく生存しようと欲する意志のような何かを見て、、そこに似たものが感じられたのだろうか。

しかし死んでしまう三女はもとより、長女や四女の描かれ方も、何となくちょっと可哀そうな感じもするし、男たちは誰もが皆、どことなく不思議な頼りなさを漂わせているようだし、この物語自体が、登場人物に対してすこし辛辣な感じがするのは気のせいか。(こういう感じを「女性的」ととらえてはいけないのかもしれないけど、そう言いたくなる感じは受ける。)

能見堂跡

金沢文庫駅から住宅地を抜けてハイキングコースとして整備された山道を登っていくと、能見堂跡という地点に至り、それまで鬱蒼としていた木々が開け、下界の広がりを展望できる。むかし金沢八景と呼ばれるにいたった、当時は絶景とうたわれた場所らしく、なにしろ江戸時代この場所から見下ろすことのできたであろう地面は、海の入江がそこまで割り込んできていて、海と山でまだらに構成された如何にもな景色をなしていたらしいのだ。今では埋め立てられてしまったので単なる建物の密集地帯でしかないが、ここがかつて入江だったというイメージの信じられなさ、その嘘っぽさは、かえって心に引っかかるものがある。しかもこの能見堂跡も、明治はじめあたりまでは能見堂という寺があって火災か何かで無くなり、今では跡地としてすでに百年以上、山の上の何もない場所としてそこにあるだけで、つまりここは、跡地から跡地を眺めているようなもので、ほとんど馬鹿らしいというか、「かつてそうだった」的な想像だけをはたらかせるしかない。いくつかの石碑ならびに、明治時代に同場所から撮られた写真が何点か、看板として立てられているだけだ。今やなんの変哲もない、何を感じさせるわけでもない場所を「ここはかつて美しかった」との言葉で示すというのは、とても空しいとも言えるが、けして反論できない強い説明であるとも言える。

釣り力

釣り好きで、酒好きで、お喋りが好きな人の話し相手をしている。相手であるからには、適度な相槌な応答が必要だから、それを適宜挟もうと思うのだが、なにしろお喋りの好き度合いがとてつもない人のようで、こちらに一切のサービス権をあたえずのべつまくなし喋り続けることしか頭にないようで、こういう人はたまに見かけるけどこりゃ相当なレベルだなと半ば呆れつつマシンガンのように繰り出される言葉たちに黙って頷き続けるしかない。

料理とりわけ加熱において、それをどのくらい上手く出来るか?についての、想像力の働かせ方がおそらくあって、火に焙られて温度が急上昇する肉の表面と、じょじょに熱が浸透してく内部と、それらのイメージを脳内であたかも目に見ているかのように再現させながら、絶妙なタイミングで火加減を調節して最適なところで止めると、その結果が、想像していたものとほとんど変わらぬものとして仕上がるいうとき、それは目に見えないはずのものが見えているという状態とほぼ同じことだろうと言える。それはもちろん積み重ねた経験から類推、察知できることで、超能力ではない。しかしそれでも、今熱がこのように加わっている、あと少しで、完璧な仕上がりに至ると想像すること自体は、それが過去の経験を参照していたとしても、やはり超能力に近いものではある。

同じように釣りも、海原の下に垂れた釣り糸の先、餌の動き、魚の動きが、やはり目には見えず想像するしかないのだが、釣り好きで、酒好きで、お喋りが好きな人の言葉によれば、彼はおそらく海中で魚がどのように動き、どのように反発し、どのようにあきらめて浮上してくるのかを、まるでかつて魚に直接問いただしたのかと思うほどの確信をこめて語るのだ。その確信は、竿の最初のひと上げがどの力加減でどのような角度でなければいけないのか、それが水中の魚にとってどんなメッセージになるのかまで、周到万全に頭の中で準備できてしまうほどのものなのだ。たぶん彼も釣り好きの人たちとは皆そのように想像のなかで魚と通信し交歓しているのだろう。そしてそれはまんざら馬鹿にしたものでもない、少なくとも自分のような"素人"の理解は越えたところで、素人から見れば超能力を行使しているとしか思えない、そんな営みに明け暮れてる人たち、とも言えるのかもしれない。