沈丁花

植物と人間との関係の結び方が、どうしても人間の思うようにはいかず、人間の方から植物に近寄って行ったり、様子を見にいったりしても、植物たちはそれに反応するすべがないし、そもそも最初から人間と同じ土俵上にはいない。いつでも植物がすでに何かを終えたあとで、どうしても事後的に人間がそのことに気付くようなやり方でしか、人間はその場所にいたることができない。人間にくらべて植物が遅すぎるのではなく、むしろ植物の時間感覚に対して人間が遅すぎる、単位が細かすぎて把握のスケールが見合わな過ぎる。後からやってきた遅すぎる人としてしか、常にその場にいられないし、季節の上で何を見ても常に手遅れをかみしめるしかない。

今の季節を、何日か前までは、寒い…死ぬ…と思っていたが、今日はまだマシになった。少しずつ冬の威力が衰えていく。それは肌で感じられる。肌で感じるという言い方。帰宅途中の、マンション入り口に咲いている沈丁花の香りがピークに達している。角を曲がってすぐの、かなり手前の地点からでもすでに漂っている。そうかと思えば、すぐ近くまできたのにさっきの香りをみうしないもする。

アナキスト

昨日に続いて、柄谷行人坂口安吾論」読後メモ。

生きよ堕ちよ、どこまでも生きて堕ちきったところにしか救いはない、しかし、ほんとうに堕ちきるところまで行けるかというと、人間はそれほど強くない。生きる以上どうしたって何らかの「カラクリ」を必要としてしまうものだ。だから政治は、人間同士が最大限上手くやっていくための、小さな是正の、果てしなき繰り返しで良い。良くなるわけでも悪くなるわけでもなく、その都度の最大幸福を目指して、永遠に訂正され続けるものが政治で、それ以上でもそれ以下でもない。

空襲後の焼け跡で見た、死体をモノのように焼却作業していた若者たちの様子。安吾はそれを「まったく原色的な一つの健康すら感じさせる痴呆的風景で、しみる太陽の光の下で、死んだものと、生きたものの、たったそれだけの相違、この変テコな単純な事実の驚くほど健全な逞しさを見せつけられたように思った。これが戦争の姿なんだ、と思った。」(帝銀事件を論ず)と云う。

安吾の「人間がわかってない」「まず人間を知ることだ」というのは、その「人間」こそが「現実」であり「我々をたえずつきはなすようなもの」で、それを何よりも深く知る、ということだ。

安吾は本質的にアナキストである。安吾は「先ず自由人たれ」と云う。但し自らの「自由」のために他者の「自由」を侵してはならないことが原則となる。したがって「自由」を希求するには必然的に「平等」が条件となる。カントが「人間を手段としてではなく目的として使え」というとき、それは「他者を自分の目的として使え」という意味ではない。

他者を目的として使うことは避けられない。ただ、そのとき、同時に他者を目的(自由な存在)として扱うようにすべきだというのである。

それは、自己のみならず他者の目的にもかなうようであれ、という意味でもあるだろうか。

これは単に主観的な道徳論ではなく、他人を労働させることによって成り立つ古代国家から資本主義にいたるまでの生産様式に対する批判をはらんでいる。だから、新カント派の哲学者コーヘンは、カントにドイツにおける社会主義の最初の表明を見たのである。 

敗戦後にもたらされた、農地解放と、戦争放棄憲法、この二つを手にしていながら、これを「大革命」とすることができなかったということ。戦争放棄という世界最初の新憲法を作りながら、すぐに自衛権をとなえはじめ、農地再分配に対してもそれらを組織的、計画的に受け取ることをせず、手にしたものの価値をないがしろにし、単に利己的に勝手に処分して、あれほどの革命を無意味なものにしてしまった、ここに共産党無産政党の愚かさが露呈していると。

 ただし、アナキスト安吾の独自性とは、国家と区別されるネーション、その象徴としての天皇天皇制ありき、その基盤にある「社稷」、それを突き詰めた先にある「家」までをも批判の射程に入れたことだ。

安吾の平和論(アナキズム)は、国家の揚棄に基づいているが、それは一般的アナキズムともマルクス主義とも違って、カント「永久平和論」の影響下にあるといえる。すなわち「家」の制度を失うことによって、それ以上の秩序を、わがものにすること。


 戦争などゝいうものは、勝っても、負けても、つまらない。徒らに人命と物量の消耗にすぎないだけだ。腕力的に負けることなどは、恥でも何でもない。それでお気に召すなら、何度でも負けてあげるだけさ。無関心、無抵抗は、仕方なしの最後的方法だと思うのがマチガイのもとで、これを自主的に、知的に掴みだすという高級な事業は、どこの国もまだやったことがない。
 蒙古の大侵略の如きものが新しくやってきたにしても、何も神風などを当にする必要はないのである。知らん顔をして来たるにまかせておくに限る。婦女子が犯されてアイノコが何十万人生れても、無関心。育つ子供はみんな育ててやる。日本に生れたからには、みんな歴とした日本人さ。無抵抗主義の知的に確立される限り、ジャガタラ文の悲劇などは有る筈もないし、負けるが勝の論理もなく、小ちゃなアイロニイも、ひねくれた優越感も必要がない。要するに、無関心、無抵抗、暴力に対する唯一の知的な方法はこれ以外にはない。

ここで、安吾はガンディの無抵抗主義をもっと徹底させている。ガンディは、影響を受けたトルストイ同様に、共同体(社稷)に依拠するアナキストであった。しかし、それは結局ナショナリズムにまきこまれざるをえない。それに対して、安吾が提示するのは「家に代わる社会秩序」である。そして、このアナルシーこそ、「暴力に対する唯一の知的な方法」なのである。

 

 

ふるさと

柄谷行人坂口安吾論」を読んだ。

仏教をはじめて美学的な視点で見出したのは岡倉天心だった。岡倉晩年の講義を聴講したこともある和辻哲郎の「古寺巡礼」においては、日本の「古寺」は「美的」なものとして捉えられている。

タウトが発見した「日本の伝統の美」に対する安吾「日本文化私論」での批判「我々は元々日本人だからわざわざ日本を再発見する必要はない」というのは、タウトの認識に、あらかじめそのような視点「カラクリ」が必要とされていることを指した指摘でもある。外国人にはわからぬ日本固有の美的まなざしとか、そういう意味ではない。外国人はおろか近代以降の日本人にまで、いつの間にか内面化されている「美的」なものをとらえている。かりに法隆寺桂離宮を壊して駐車場を作ったとしても、それで消失してしまうような何か(あらかじめ期待される視線の対象)さえ、じつは元々無いし、その必要もないということになる。(とはいえ必要なものだけで構成された殺風景で何の見るべき要素もない建築物--たとえば小菅の刑務所--を「うつくしい」と感じてしまう安吾の視線もそこには織り込まれていて、そこに図らずも安吾バウハウス的建築思考との近似値が示されてもいる。)

余計な夾雑物をはぎ取って、あらゆるカラクリを排したところに安吾の云う「ふるさと」がある。必要だけを選び、合理を徹底し、合理性そのものになること。しかしその合理徹底性をめざす情熱の元になる力は非合理的なものだ。安吾キリシタン禁制時代に海を越えて宣教に来ては拷問され殉教していく宣教師たちに向ける視点。その力の源を探ろうとする営み。あるいは死者を無感動にただ見ているだけの視点、まるで繰り返し打ち寄せる波を見ているような。その無償性というか、非合理性というか、空しさ、その透明な切なさだ。それは決して、心地のよいものではなく、むしろ不快なものだ。「美」が量的判定で構想的にもたらされる快であるのに対して、不快な対象が理性によって捉え直されもたらされる快が「崇高」である、というのが、カントにおける美と崇高の問題で、安吾における「我々をつきはなすようなふるさと」とは、崇高であり、物自体のことでもあるだろうし、柄谷行人が云う「外部」のことでもあるだろうと。

今日の料理

むかし、カーター大統領が来日して昭和天皇と対面した場面をニュースを見たことがあったのを、ふいに思い出した。あのとき自分は、天皇陛下という存在をはじめて意識した。それは子供の目から見ても相当にヨボヨボの老人で、少し背の曲がった、白髪に丸眼鏡の、口元から喉元にかけて、まるで垂れ下がった布のような皮膚の弛みと皺を見て、これではおそらく、何を言っても聞こえないだろうし、まともな反応も返ってこないだろうと思うような、あそこにじっと立っているのがせいいっぱいの、まごうこと無き高齢者そのものに見えた。あの老人が、日本における重要なシンボル的存在であり、当人の意志を問わずはじめから選ばれた人間であったことの不思議を感じた。思えばアメリカ大統領で僕が一番最初に記憶したのはカーターで、その次がレーガンで、次がブッシュで、次がクリントンで、次がブッシュ息子で、次がオバマで、次がトランプ。これだけで、四十年近く経っている。カーターが来日した当時、たしか日本の総理大臣は大平正芳だったような気がするのだが、その後、誰もが知るように総理大臣はめまぐるしく交代して、そのたびにニュースで報じられる。死んだ人、生きてる人、くりかえされるテレビ報道と、くりかえされる家庭料理の食卓の風景があり、今日の料理、今晩のおかず、自宅にある簡単ウチごはんも、気付けばすでに二十年前に出版されたムック本のレシピだ。ふだんの家庭料理ならば、食べやすい、口に運びやすい大きさを考慮しないまま料理が作られることもあるり、その手間暇の掛けなさと時間の節約が、かえって料理そのものの素朴な側面をより強調する結果に結びつきもする。食べにくさが近づきがたさになり、終わりへ向かう流れの遅延と迂回になって、なかば無理やり口に運び込んで、それがどんな味わいであれ、それはそれとして食べる。それはそれとして食べて、くりかえされてきたこれまでの食事の一環に今を加える。これこそが家での食事だ。

剃刀

志賀直哉の「剃刀」は、僕はこれをおそらく中学生くらいのときに読んだことがある。冒頭を読み始めてすぐにそのことを思い出した。ならば結末はアレだな、、と思った。ところが最後まで読んだら、結末は思っていたのと違っていてけっこう驚いた。こんな凄惨でグロイ小説だった記憶はない。僕の記憶では、主人公の芳三郎が物語の最後に、その技術に絶対の自信をもっていたはずの剃刀で、ついに小さな傷を客の喉につけてしまう。静かに眠っている客の喉に、目に見えないくらい小さな傷が出来て、そこから赤い球状のものが、ゆっくりと小さく盛り上がってきて、最後にすーっと一筋流れ落ちるのを、芳三郎は呆然と見つめている。…そこまでで小説としては終わっているはずだった。ところが、この話にはまだ続きがあった。芳三郎はその直後、衝撃の行動に出るのだ。最後まで読んで、この最後のくだりっている??と、真剣に思ってしまった。自分の思い込みのせいだが、どうにも余計なオチが付け加わってるような気がして仕方がない。ゆっくりと湧き上がってくる血の玉をじっと見つめて、それで終わる方が、よっぽど上品で、いい感じがするけどなあ…と「小説の神様」の作品にダメ出ししたくなった。

これは想像だけど、もしかして同作品の小中学生が読むような児童書版みたいなのがあって、かつての僕はそれを読んだのだろうか。映画のR指定じゃないけど、最後の残酷シーンだけカットしてあるとか…。いやまさか、さすがにそれは無いか。

むしろ最後の数行よりも、盛り上がってくる血の玉の描写の方が、かつての自分にとっては鮮烈だったのかもしれない。何しろ何十年ぶりに再読したのに、あの「ラストシーン」が直ちによみがえってきたのだから。だからこれはおそらく、記憶が勝手に、その部分をラストシーンに書き替えてしまった、その可能性がもっとも高いと思われる。

それにしても、志賀直哉作品の一傾向として、たとえば「范の犯罪」、あるいは「剃刀」、あるいは「濁った頭」…これらの殺人の場面に、ある種の加虐性というか、苛々や気分のモヤモヤに苛まれれて、鬱屈した思いに閉じ込められている、それがとつぜん刃物による暴力の発動に直結されてしまうような、ある種の嗜好に基づく欲望の発動をどうしても感じてしまうところがあって、少し憂鬱な思いに沈むところがある。

たけばし2

会期終了間近ということで、一部展示替えされた「TOPICA PICTUS たけばし」をふたたび観に行く。

水が流れて、その跡が窪み、蛇行しながら海へ近づき、川になった。だとしたら、水が先で川が後か。しかし、水はもともと地面の起伏や窪みに沿って流れていた。水そのものの力もあったが、地面に影響され翻弄された、その結果が川だ。それなら、枠組みとしての川が先で、そこに水が流れたのではないか。

どちらが先とは決められない、長い年月をかけて水の流れと地面の形態が相互に影響を与え合いながら、こうなった結果が川である…というのは、目のまえの状態からいったん目をそらして思い浮かべるしかない想像上の物語であり、そう説明されても、実際はそのように見えない。むしろその説明のとおりには見えないことに驚く。いま、ここに川がある、その状態をどう考えれば良いのかという話をしている。

水の流れはそれだけとしてしか認識できないし、窪んだ形は形としてしか見えてこない。水と形との、現在進行形の運動そのものは認識できない。流れと形が、そもそも折り合わない。それぞれ別の出来事にしか感じ取れない。にもかかわらず、そこに窪んだ形がなければ、水の流れがありえないのも事実だ。

TOPICA PICTUSを観ている自分に思い浮かんでいるものは、そういう感じに近い。交差する二つ以上の要素が影響しあった結果としての、今この状態、そのありようだ。TOPICA PICTUSに根本的な不安さ、不可解さ、落ち着かなさをおぼえる理由は、想像される工程順序にいつまで経っても確証がもてないこと。ある因果としてこれが出来上がった、そこに時間が流れたという説明が、まるで想像上の物語にしか思えない感じがするところにもある。

焚き火

志賀直哉の「焚き火」は、主人公夫婦とその知り合いたちが旅館に滞在中のひとときを描いたもので、ああ、こういう旅行はいいなあとつくづく思う。というよりも、これを読んでいるのがそのままとても快適な旅行体験そのものという感じだ。雨の一日、皆でお菓子なんかを食べながらトランプしている。なんとなく飽きてきて、誰かが思いついたように窓を開けると、いつの間にか雨がやんでいて、外からすーっとするような新鮮な空気が室内に入ってくる。それで、皆でちょっと離れたところの小屋まで行ってみようとなる。すばらしい夕暮れをはなれの小屋で過ごし、さらに日が暮れて晩になったら、皆でボートに乗って小さな島まで行こうかという。島に上陸するとまだ火の絶えてない焚火跡を見つける。蕨を取りにきて洞穴の奥で眠っているらしい焚火の主の姿は見えない。肌寒いので彼らも火をおこす。湿っていても、白樺の皮を使って上手に火をおこす。火を囲んでまた皆でひとしきりお喋りする。そろそろ帰ろうかとなって、焚火の火を消し、火種の残る薪を湖へひとつひとつ投げ込む。火の明るさが弧を描いて飛び、じゅっと着水して暗くなる。それがくりかえされて、やがて暗闇が戻ってくる。

ちょっとホラー映画の登場人物たちが、殺戮に巻き込まれる前の、まだ楽しい時間を過ごしている時間だけで出来てる話という感じもする。親密で楽しいひとときのなかに、何か妙な胸騒ぎをおぼえるような、得体の知れない不安感がただよわなくもない。Kさんの昔話も、母親の超能力が遭難寸前の自分を救ったみたいな話だし、焚き火の主も結局最後まで姿をあらわさない。でもたぶんそれは思い過ごしで、実際はただ平穏な時間が続くだけだ。不安も平穏も好きに感じ取ればよい、勝手にすれば良いような、なんでもない時間なだけである。