ドライブ・マイ・カー(小説)

村上春樹「女のいない男たち」収録の「ドライブ・マイ・カー」を読んだ。僕はたぶん、村上春樹に対してある種の先入観をもっていて、「村上春樹的なもの」の嫌な感じ、鼻白む、辟易する感じが、苦手だと思っている。しかしこれは読んでみて、あまり「嫌な感じ」ではなかった。意外というか、いや、そうか、こういう小説なのか…と、映画とは違って、もともとこの小説の中でやろうとしてることが、はじまって数ページの時点で、わかるものがあった。いまさらだが、村上春樹の小説を、はじめて読んでいるような気さえした。

映画「ドライブ・マイ・カー」には、鼻白むような、呆れて辟易とさせられるような箇所が、幾つかあると僕は思って、それはおそらく原作側に原因のある各要素の問題だと思っていた。しかしこれは間違いだと思った。むしろ原作で成立していたものを、映画で壊して、それに無頓着なまま別のことをしている、という感じだ。

映画「ドライブ・マイ・カー」では、「女のいない男たち」から、いくつかの作品を混ぜ合わせて原案としているのだが、僕がまだそのうちの一つしか読んでない段階ではあるものの、思うに、この混ぜ合わせた結果のプロットが、かなり良くないのではないかと感じられる。本来ならつながるべきではないものが、映画の都合でつながってしまっていて、その結果、小説がおそらく細心の注意を払って成り立たせようとしたものを、映画では最初から問題にはしてないので、かなり無残にそれらが消えてしまった感じがする。無論それが、原作と映画の関係と言うものでしょう…と言われたら、たしかにそうかもしれないし、この脚本で原作者も了承しているのだろうから、たしかにそれはそれなのだが。

それでも映画の登場人物になった主人公と死んだ奥さんと運転手の女性は、ほんとうはそんな人じゃない(そういう筆圧で書き込まれるべき人ではない)のに、虚構の人々ではあるが、やや気の毒に思う。

ドライブ・マイ・カー(補)

「ドライブ・マイ・カー」について。部屋の中で、二人の裸体にあたる自然な光はきれいだったと思う。しかしこの映画の季節感は、よくわからない。西島秀俊も運転手の三浦透子も、服装はいつも一緒で、夏でもないけど真冬でもない格好で、西島が外で待つ運転手三浦の寒さを気にかけてあげるシーンもあったが、それにしては冬っぽさが、さほど感じられない。たぶん10月とか11月頃なのだろう。北海道に行ったら、急に真冬になった感じ。

西島秀俊が宿泊する旅館が、窓から海が見えてすごくいい。あんな旅館に泊まるから、季節感がよくわからなくなる(気持ちいい夏の感じがする)。広島はいい、知らない広島の、何の変哲もない景色がいい。

「加速も減速も非常になめらか」「車を大事にしてるのが伝わってくる」とか、自動車がそういった話のネタというか道具としてしか使われてないので、自動車そのものの、動きの面白さは少ない。というか映画で自動車の動きが面白いとしたら、それはやっぱりサスペンションに掛かる荷重が見えるような箱の動きとか、それはけっこう運転が下手であることの結果にあらわれるのではないか。上手いというのは、無駄な動きが少ないということだから。

タバコを喫うシーンが多くて、これは良かった。ウィスキーも美味しそうだった。タバコを喫って一息つく時間の魅力というのがある。行動も、会話さえも止まってしまう、しかし自分に閉じるわけでもなく、ただ二人で煙草の煙を見ている、その小休止のひとときの良さ。

しかし、タバコと酒は好きなのだろうけど、食事はそうでもないのか、キムチがやたらと並んでる韓国料理の食卓はあまり画面に捉えられないし、箸も進んでないし、美味しそうに食べてない。だいたい毎日夜遅くに家に帰るのに、西島秀俊が毎晩の夕食をどうしていたのかが、いっさい描かれないのは、なんとなく不足の感をおぼえる。

ドライブ・マイ・カー

TOHOシネマズ 西新井で濱口竜介「ドライブ・マイ・カー」(2021年)を観た。

娘の死によって幸福を失った夫婦がいて、やがて妻も亡くなり、残された夫が、たまたま出会った運転手女子の過去の傷を知ることで、心の回復への糸口を見出すような、すごく「村上春樹」な世界に、正直鼻白むというか、呆れて辟易するところも、ないではないのだが、しかしそれを踏まえても、本作は魅力的な作品だった。たとえば前作「寝ても覚めても」(2018年)が、言葉による表象しか許されない小説というメディアに対して、視覚的な事象すべてが映りこんでしまう映画の特性をそのまま露呈するかのような、小説の仕事に対する映画からの批評的解釈という風にも読めるような作品だったようには、本作は原作への「ある視点」を鋭く突き付ける結果にはなってないとは思うし、村上春樹的なものと濱口竜介的なものとが、むしろあまり混ざり合わず、それはそれ、これはこれと、そのままで投げ出されているような感じを受けるのだが、そうでありながらこの映画は、三時間という長丁場の上映時間にわたって展開される話を、おどろくべきスムーズさで結末まで運んでいくのだ。

濱口竜介の作品は長尺なものが多い。三時間や五時間の映画をじっと観続けるのは、心身を少なからず消耗させるはずで、自分など90分の映画にすらそう感じることもあるのだが、濱口竜介の作品からそういう負荷をあまり感じることがないのは、いつも不思議だ。

映画を観ていて、ある出来事がはじまってから終わるまでの時間を意識するとき、それがたとえばかなり重大で不可逆的なエピソードなのに、画面の動きとしてはほんの数カットが繋げられただけのことであらわされているのに気付いて驚くことがある。たとえばDVDで、ある映画のラスト15分だけを観たとき、その作品の残り時間は、たったの15分しかないはずなのに、物語としてはまだ終盤の気配などいっさいなく、しかし画面を見るうちに短い時間の内でいくつもの出来事がコンパクトに展開していって、最後によく知ったラストシーンへつながっていき、たったの15分で本当にその映画が終わってしまうことに驚くときがある。その15分の中で、如何に凝縮された無駄のない、むしろ映ってない何かを盛大に利用した技の冴えに満ちているかを、DVDを再生しながら秒単位で感じることになる。最短の時間でスピードをともなったイメージ連鎖を仕掛けることで、ある出来事をたしかに体験したと観る者に思い込ませる、映画の編集のすごさというのはそういうところにあると思う。

濱口作品は、そのような編集の技とは一見無縁なようにも感じられる。むしろ出来事をひたすら映し続けるような、ひとつのやり取りを最初から最後まですべて映しきってしまうような、そんな場面の連続という印象がある。にもかかわらず、それは三時間を一気に後方へ押しやってしまうほどのテンポの良さというか小気味良さも兼ね備えているのだ。

濱口作品が、どのように切り取られて、編集されているのか。映画を観終わってからそれを思い返すのはけっこう難しいのだが、とりあえず、ある場面が始まってから、ある種の納得がおとずれるまで撮影されきっている、という感じはする。役者が話をはじめてから話を終えるまで、あるいは走る自動車から見える前景が移動のたびに変化していき、目的地に達するまで、ひたすら撮影され続けている、という感じはする。しかしそれは、単にひとまとまりの、やや長めに切り取られた1シーンということではない。シーンとしての独立性が主張しはじめる直前で寸止めされてはいるけど、それはやはり編集され映画に奉仕しているシーンでもある。撮影されたそれ自体を観ている状態と、あるイメージ連鎖の過程を観ている状態との、混ざり具合の絶妙な按配があるのではないか。その快適さが、濱口作品を観ているときの楽しさではないか。

濱口作品においては、俳優として演技をする俳優といった位置づけの登場人物(メタ役者/メタ登場人物)が、非常に多い。彼らもまた、その映画に奉仕していながら、登場人物としては物語や意味から必至に適切な距離を取ろうと悪戦苦闘する人々であったりもする。登場人物の演技が、そのフレーム内で要請されている演技に対する自己言及性を持たざるを得ないような仕組みがあり、その撮影が、そこで要請されている映画の素材と化すことに対するある距離感を持たざるを得ないような仕組みがあるのだと思う。それは闇雲に既存の制度に対する反抗という姿勢ではなくて、むしろ制度に従順ではあるのだが、あらかじめ仕組んだ物語のフレームが、制度に従順なはずの演技や画面を、そのままの縮尺をたもったままで引き延ばしてしまったというか、とにかく何かが従来とは違うものにしてしまう感じなのだ。

主人公の、演出家である西島秀俊の指揮下で「ワーニャ伯父さん」の舞台をつくり上げようとする俳優たちがいる。彼らはテキストに身をあずけ、自分をテキストに解体することで、作品に溶け込み、それで「ワーニャ伯父さん」の世界を生きようと試みている人々とも言える。それは、苦しみに満ちた私たちの「生」を、それでもどうにか引き受けて生きていくことと、来るべき時が来たら安らかさと共に死んでいくのだと、ある諦念を含んだ、幸や不幸に還元できぬ想像の生を共有しようということでもある。

西島秀俊が作劇する上でのコンセプトとして、各俳優たちが各々の言葉を理解できないままで物語を進めるという特長がある。役者は、日本語、韓国語、英語、手話など、自分に可能な表現で台詞を担う。脚本は共有しているが、役者は対話相手が発声する言語の意味を理解しないまま演技を続ける。

このような形式をもつ演劇が自身を立ち上げるにあたり、最初の前提としてあきらめ捨てたものについて考えることが、各登場人物が傷つき喪ったものについて考えることとが重なるような構造を、この映画はもつと言える。

西島秀俊はこれまでの間に、そのテキストを読みこめば読み込むほどに「ワーニャ伯父さん」という作品のもつ過酷さに打ちのめされてしまっているようで、これまでのように自分がワーニャ役を演じることが、もはや不可能だと感じてもいるようだ。そこで、オーディションにやってきた岡田将生に、ワーニャ役を割り当てる。岡田将生は当惑する。そもそも彼が西島作品のオーディションにやってきた理由は、自分もかつて愛した、すでに亡くなった西島秀俊の妻についてもっと知りたく思い、さらに夫である西島秀俊のことをもより深く知りたく、同時に自分だけが知っている秘密を西島にうちあけ、出来るならば一人の女についての記憶を、西島と分かち合いたかったからである。

しかし岡田は若く、自分自身をもてあまして制御できない、感情や気分に流されやすく、近づいてきた女とすぐに関係ももつし、隠し撮り撮影の相手に対して荒らぶり、湧き出る暴力を止めることができない。西島はそんな岡田に、可能性と一縷の望みを見出していたのかもしれないが、結果的に岡田は自滅し、西島秀俊の期待は裏切られる。舞台の中止か継続を迫られた西島秀俊は、運転手の三浦透子が生まれ育った北海道の生家跡を訪ね、被災した生家の残骸がかすかに見える以外は雪景色が広がるばかりの景色を二人で見つめ、彼女の過去を知り、彼女を通して自分の心の奥を探り当てる。悲しみを乗り越えて生きる希望を見出した西島は、最終的に「ワーニャ伯父さん」の舞台に自ら立つ。

…前述したように、この「見いだされた希望」が、どうにも取ってつけたものとしか感じられなくて、最後がこれかよ…と思って、やや唖然とするような感じだったのだが、しかし最終的に無事上演された「ワーニャ伯父さん」の異様さ、異なる言語がそのまま登場人物たちのやり取りで用いられ、観客へは複数の言語による字幕が指示されるが、役者同士はお互いの話す意味を介しないまま芝居を続ける。発語障害をもち手話によって演じるソーニャ役の韓国人女性が、最後にワーニャに対して手話で話しかけるシーンの素晴らしさに、観る者はようやくこの映画を観続けてきたことが報われたという思いになる。この断絶こそがすばらしい、というよりもこの断絶を最低限の前提にしなければ「救済への希望」も不可能だろうと思う。異なる言葉を用いた複数の登場人物が、そのまま生きていることに、希望が託されているということ、この舞台を演出した西島秀俊も、そのことをよくわかっているはずだ。

この映画で、一貫して「救済の希望」の可能性を担っているのが、ソーニャ役の韓国人女性であると言えるだろう。西島秀俊とドライバーの三浦透子は、二人とも救済を求め、互いを励まし合う関係となった。その二人が、彼女によって導かれ、あらたな道を教えられたのではないかと考えたくなる。

お告げ

先々週くらいから、NHK映像の世紀」の、録画したやつを少しずつ観て、最終回を今日観終わった。録画し損ねた4回目と5回目だけ観てないのだが、おそらく昔、一度くらいは観てるだろう。4回目と5回目のあたりは第二次大戦真っ盛りの頃で、観ていてけっこう辛いので、観られなくてかえって助かったという気持ちもある。

うちの妻は、マルコムXホーチミンポル・ポトと、誕生日が一緒だそうで、そのことに、やけに拘りがあるようだ。かなり昔だが、マルコムXについては伝記も読んだらしい。ベトナムの歴史についても、今すぐにでも学ばなければいけない気がするらしい。

それはおそらく「占い」のようなものとして、マルコムXホーチミンポル・ポトといった名前を、ある種の「お告げ」のように、受け止めている、ということになるのだろうか。世界があって、自分がいて、この私は自由意志でもって生きている、あるいは、巨大な制度機構のなかで生かされている、そんな構造の下で、それを斜め上からつらぬくかのように「お告げ」がやってくる。占いがもたらしてくれる情報は、まったく論理的裏付けのない、この世界の仕組みから自由なもので、しかしそれゆえの確からしさをもっている。この世界とは別の論理、枠組み、約束にしたがって、とつぜん私に突き付けられる現実がある、それが私にとって、この世界の仕組みの中においては、マルコムXホーチミンポル・ポトの名に、かたちをかえてもたらされる。

これら歴史上の人物たちの足跡が、ただちに私の人生と直接関係することは無いにしても、それがまるで無関係であると証明することもできないはず。問題は、誕生日が同じということでさえなくて、経緯はどうであれ、結果的にその名が私に届いたということだ。その事実を、重くみなければいけないのだ、と。

ちなみに、僕と誕生日が同じ有名人をひとり挙げるならば、南野陽子である。

ローテンション

夕方前の時間に、いつものジムに行って、しかし今日は水泳ではなくて、バスタオルをもって、風呂、サウナ、水風呂を往復した。ここに通いはじめて四年経つけど、来店したのに水泳しなかったのは今日がはじめてだし、いつもはシャワー室しか使わないので、浴槽とかサウナを使ったのもこれが初だ。そもそもこの施設の、受付と更衣室とシャワー室とプール以外の場所がどうなっているのか、まったく知らない。ちょっと階段を降りていけば、いろんな器具やトレーニングルームなどが広がっているのだろうけど、一度も見たことがない。

サウナに入るのも久しぶりで、着替えて施設を出たあと、近くの喫茶店に入って、スマホを充電しつつ本を読んでいたのだが、まだサウナ余韻を残した身体の虚脱具合が、かなりのレベルで、この体内諸要素の喪失感は、運動直後とほぼ変わらないか場合によってはそれ以上かもしれないと思った。ちょっとこれ以上無理すると、そのまま体調崩すか風邪ひくかもしれない、そのくらいには全身がフワフワなまま、無防備で無警戒に外気と直に触れてる感じだった。二時間後には出勤しなければいけないのだが、このまま会社に戻るのは許されるのかしら、まるで酔っぱらってるような身体感覚に思えて、この心身で仕事の続きに戻るとしたら、それはそれでやけに背徳的快感をともなった新鮮さがあるように思った。

会社へ向かう道のりの途中もその気分は続いていた。もう皆が帰宅する時間にひとりだけ逆方向を歩いているぶん、余計にその気が高まった。このまま妙なテンションでオフィスに戻ることになったとしても、それはそれで何とかなるだろうか、などと考えながら、人並みに逆らって入場ゲートを潜った。フロアで人に会って一言二言交わすうちに、結局いつものリズムパターンが確固たる安定感で戻ってきた。なんだ、つまらないなあ、と思った。

Charlie Watts

チャーリー・ワッツ死去とのこと。ストーンズのレット・イット・ブリードをはじめて聴いたのは高校一年生のとき。CDというメディアが、世の中に出始めてまだ間もない頃だ。当時の自分にとって、古い音源を聴くというのは、まったく新たなフォーマットに乗せられた、古いのに新しい、古さと新しさをどちらも併せ持った音楽を聴くということだった。だからこそ、その感触を求めて、あえて古いものばかりを聴いていたのではないかと、今になって思いもする。

新しき古さ。レット・イット・ブリードのCDを開封したときに立ち昇った匂いの新鮮さを、いまだに思い出せるほどだ。アルバムタイトル曲レット・イット・ブリードのドラムの最初の入り方。あの重さと駆動感。それをいま、再生してみる。久しぶりだけど、あいかわらず、だ。ギミー・シェルターのイントロが、フェード・インしてくる瞬間が、当時も今もまったく変わってないということを、夢で見た出来事のように感じてしまう。

受給

いますぐ受給か、繰り下げ受給かを、選べと言われた。繰り下げならば、十年後の払出しとなる。年利1.0%とのことでこのご時世ならさほど悪くないとも言えるので、ひとまずそれで手続きした。十年後なんて、さほど遠い先の話でもない。今から十年前のことを思い返すと、はっきりそう感じる。むしろ、あっという間、ちょっと早すぎるくらいの勢いで、そのときが到来してしまうに違いないのだ。でも、それと同時に、十年先まで自分が生きていない可能性だって、充分にありうると思う。でももしそうなったら、そのときはそのときだし、いずれにせよ、未来のことを細部まで証拠立てて、あれこれ考えても、仕方ないと思う。

それにしても自分は、借金するのも嫌いだし、保険に加入するのも好きではないと、つくづく思う。来るとされる未来の時間、そんなあやふやなものを担保にすること、安心の材料にすること、それを他者と共有して、了解事項にすること、それに何かむず痒いような気まずさ、居心地の悪さをおぼえる。そんなことを言ってる人間は、ぜったいにお金持ちにはなれないのだとも思うが。

翌朝、昨日の申請先から連絡が来た。受給の手続きをしろと言う。いや、何かの間違いでしょ、手続きしたのは、前日の8月25日ですよ?と応えたら、そうでしたね、あの日はたしかに、8月25日でしたね。あれから今日で、ちょうど十年です。と言われた。えー?と思ってよくよく考えてみたら、たしかにそうだった、たしかに今日で、あれから十年経ったのだった。

ということは、自分はもう、すでに十年分を加えたその年齢に達したのだ、そのことに、いまさら気付いた。お金が支払われることよりも、自分がすでにその年齢であることに、どすんと重い負荷を、胸の内でおぼえた。ある程度、覚悟はしていたけど、まさかこんなに早く、十年後がやってくるなんて、想像もしてなかったのだ。動かないと信じていたものが、目のまえで動いている、そんな風に今こうして、ここに佇んでいる自分のことを、まるで他人のように、呆然と見つめることしかできなかった。