2021-11-01から1ヶ月間の記事一覧

自分の幽霊

肖像写真は、もろもろの力の対決の場である。そこでは、四つの想像物が、互いに入り乱れ、衝突し、変形し合う。カメラを向けられると、私は同時に四人の人間になる。すなわち、私は自分がそうであると思っている人間、私が人からそうであると思われたい人間…

ライオンは寝ている

古谷利裕「ライオンは寝ている」(早稲田文学 2021秋号)を読んだ。 わたしがいて、姉がいる。弟だと姉の言う男がいるけれど、その男はわたしには見えない。あと、おそらくわたしが「兄さん!」と呼びかけたい、そんな存在がいる。 かつてトナカイだったわたし…

未然の決断

代官山のアートフロントギャラリーで「浅見貴子 - 未然の決断」を観た。 ものを見るとき、形態を見る(把握する)ということと、注目したある一点(ある部分)を見るということを、一緒には実行できない。木であれば、その木全体の大きさ、枝の様子、葉の量や色…

歴史、母

目を開けて見ることのできるもの。それは所詮「似ているか、似ていないか」。似ていることを認めても、それを見たことではない。「そっくり」だとしても、むしろ失望しか呼び込まない。 バルトがここで語る「愛」---という言葉を使うより他にすべがないと思…

死せる写真

写真が絵画とも映画とも違うのは、写真とは究極的に、それを「見る」ことが出来ないというところにある。もし私が写真を見て、何かが心に引っ掛かったり、ある何かの思いに駆られたとしたら、その写真に「プンクトゥム」があるからと言えるのかもしれないけ…

今朝

目覚めた後で、それが夢だったということがわかってしばらくのあいだ呆然とするような、現実の感触をはっきりと残したままいきなりその場に放り出されたかのような朝を迎えることがたまにある。今朝がそうだった。やはり、今これが、昨日の続きだったのだ、…

渋谷

きのう松涛美術館に行ったときの話だが、銀座線が渋谷駅に着いたので電車を降りたら、まるで見慣れないホームの景色が広がっていて驚いた。よく考えたら駅の改装が終わって以来、銀座線の渋谷駅に来たのはその日がはじめてかもしれなかった。というか渋谷な…

白井晟一 入門

渋谷区立松濤美術館で「白井晟一 入門」を観る。 麻布台にある「ノアビル」をはじめて知ったのは、いつのことだったか忘れたけど、それほど昔ではないはず。つい最近のことだった気がする。たまたま、あのあたりを歩いていて、いきなりそのビルが目のまえに…

レコード音楽

レコードを床に落として、足で踏んで割る、あるいはまるで板チョコのように、ばりばりと噛んで食べてしまうなど、初期クリスチャン・マークレーの作品に共通する特徴は、ヴァイナルへのフェティシズムをともなった暴力衝動であり執拗な攻撃であると言えるだ…

クリスチャン・マークレー展

東京都現代美術館へ『クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]』を観に行く。 クリスチャン・マークレーは、まずミュージシャン(ターンテーブル奏者)としてシーンに登場し、これまで誰もやらなかった表現形式での「演奏」を行い、その衝…

妻が最近あたらしく買った料理本。坂田阿希子「和えるおかず」と、寿木けい「土を編む日々」の二冊のおかげで、我が家の食卓には革命的な変革がもたらされた…とまで言うと大げさかもしれないが、短期間のうちに食卓に登場する新メニューの種類がいきなり増え…

切る

久々の店に寄ったら、釣果のアジを大量にいただいてしまったので、帰宅後早速包丁をふりまわして処置する。小ぶりだが新鮮な個体がたくさん、スピード重視でばばばっとやる。二尾は刺身、三尾は塩焼きでこれらはすぐに食す。残りは開いて、明日フライにする…

Cry Baby

ナタリーポートマンが出てる化粧品ブランドのTVCMに、ジャニス・ジョプリンの"Cry Baby"のサビ部分が使われていて、それが偶然耳に飛び込んできたときの、ああー純度百パーセントの、ジャニス・ジョプリン…という感じ。 これこそが、カットアップのもたらす…

演劇、映画

近所に、ある劇団の練習場兼劇場があって、ほんのすぐそこ、という感じの場所なので、散歩のついでに入場券払って観劇することだってたぶん簡単に出来るのだけど、しかしその勇気は出ない。まったく知らない劇団の舞台をいきなり観に行くことへの抵抗感とい…

モロイ

登場人物としての「モロイ」から、良い印象を受けることはない。ただし、憎しみを掻き立てられるようなこともない。ある邪悪さというか、現実として、存在としての悪の手触りというか、そのへんの小動物や昆虫が属性としてかかえているのかもしれない罪、の…

身体

「彼自身によるロラン・バルト」冒頭に掲載された写真に添えられたコメントに、はっとするような、強い印象を受けた。 晩、家へ帰るのに、よく海岸通りを鉤の手に曲がり、アドゥール河へ沿って歩いたものだった。大きな木、打ち捨てられている舟、何となく散…

フランスの写真

ロラン・バルトは1915年に生まれた。「彼自身によるロラン・バルト」冒頭に掲載されている幼少期の写真が、1920年代頃ということになるだろうか。その後結核になってサナトリウムに入って施設を出たときには、すでに第二次大戦が終わっていた。バルトは戦時…

髪、枯葉

正午過ぎに髪を切りに行く。今日で二回目となる美容師さんと世間話しながら、それにしても真面目さが伝わってくる人だなと思う。施術者として、納得、満足してもらうために、的なことを、まっすぐに信じているかのような、いやー、まあ形だけで、だいたい、…

不吉

携帯できるDACを買ったので、朝の電車でiPhoneに接続したけど認識してくれない。何度か試したけどダメだ。これはもしや、初期不良を引き当ててしまったのかと、軽く暗澹たる気分になる。あと、そういえば今日、ハンカチ持ってくるの忘れた。ハンカチがないと…

壁の夢を見ていた。目の前に、というか、自分がいて、壁がある、そのような状況の夢だ。壁に閉ざされているということではなくて、そんな閉鎖的な状況ではなくて、むしろ普通の、誰もが行き来する、一般的な、通常の、ありきたりな場所に近い、そんな場所に…

過去の人

自分が学生のとき、作った作品を先生から講評された経験はある。 いま思い返すと、自分の作品に対して言われたことを思い出すというよりも、なぜか第三者が俯瞰視点で見たような、妙に客観ぶった体験の記憶に塗り替えられたものとして思い出される。つまり、…

ぼくの自転車のうしろに乗りなよ

「ぼくの自転車のうしろに乗りなよ」が収録されたRCサクセション「楽しい夕べに」は1972年リリースのセカンドアルバム。当時このレコードをつくって、これをもって世の中へ切り込んでいこうとした無名バンドの気概(気分、期待、不安、あるいは諦め、疲れ)が…

吊革

電車の吊革。車両内にあるすべての吊革を、乗客の手が掴んでいた。つまり吊革使用率百パーセントを達成していた。その混雑がどんな様子なのか、想像することさえ難しい。とにかく掴まろうとしても、掴むことのできる吊革がまったくないのだからおそろしい。…

モロイの国

ベケットの「モロイ」を、わりとじっくりガッツリと、ゆっくり時間をかけて読んでいる。それは「モロイ」を読むというか、じっくりガッツリと「モロイ」に耐え続けるみたいな、その時間に対して無駄な抵抗をしない、無条件に身をあずける、ということになる…

保坂和志「小説的思考塾 vol.5」の配信を観る。 死の段階、すなわち呼吸が止まる、納棺する、棺を閉じる、火葬、骨を拾う、骨を持って帰る、お墓に入れる…という段階があって、生きている者は、どこで本当に死んだ人や死んだ動物と別れるのか、ある人にとっ…

大学

三宅さんの3日付けの日記を読んで、思わずこちらまでそわそわしてくるような、この場にじっとしていられない、何かどこかで、何らかの目的のために、自分を使役して動かなければ、ただ歩く目的のためだけにでも歩かなければと、そんな気にさせられる。 任地…

Mehldau

メルドーのめまぐるしい、今あるこの瞬間を二重にも三重にも平行させてばらばらに解体した欠片を波状型に投げつけてくるような旋律を受け止めていると、これはたしかにとてつもない、呆れるほどに突き抜けた仕事であると思うけれども、しかしこのものすごさ…

町田

小田急線沿線はほとんどなじみがない。自分らの生活といっさい縁がないという印象をもつ。でもよく考えると、自分の最寄り駅は千代田線なので、小田急線とは直通運転しているのだ。でもふだんそんなことは全く忘れているので、小田急線ならどこで乗り換えて…

行為と嫉妬

橋本治の読解によれば「行為」の力とは、「私は彼に負けてもいい」と思えることだ。私そのものを彼にぶつけたい、対象にぶつかった結果、私が砕けてもいいと思うことだ。それは対象への憧憬に基づく単純な衝動であって「そんな私」のメタ視点はない。 ここで…

夜の八時を過ぎても駅前のお店は営業を続けていて、外からでも様子がよく見えるガラス貼りの居酒屋の店内に、ほとんど満席に近いくらい客が入っている。大きなテーブルを五、六人で囲んでる席、二人で向かい合ってる席、カウンターに並ぶ席、いずれも人でぎ…