2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧
コルトレーンのはじめて聴く音源「Offering: Live At Temple University 」より、一曲目の「Naima」を聴く----最近はなぜか音楽全般を最初の一曲くらいしか聴けない----が、しかしこれ一曲だけで、久々にコルトレーンを聴いた満足感があった。 後期コルトレ…
アドルフォ・ビオイ=カサーレス「パウリーナの思い出に」を読む。この小説の登場人物たちも、それぞれ孤独だ。主人公はきっとこの後も、自分の生涯のことあるごとにパウリーナという女性を思い出して、パウリーナが自分の考えとは違う相手だったこと、パウ…
TOHOシネマズ 西新井で、ウェス・アンダーソン「フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊」を観る。オムニバス形式というか、異なる三つの話で構成されていて、よくよく考えると、こういう構成はウェス・アンダーソン作品にた…
ポール・オースター「ティンブクトゥ」読了。ああ、これは寂しい…。死の孤独、というよりも、存在してる時点で、誰もが今こうしていること自体、すでに孤独だ。 本書に関係ないけど、死んだらそれまでで、後には何もなくなるなんていう考え方は、正確で客観…
ピアノの音を聴くと、静謐な気持ちになるなんていうのは、いかにも素人くさいのかもしれないけど、僕はいまだにそういうところがあるし、きっと今後もずっとそうだろう。もちろんピアノならなんでもいいわけではないけど、ピアノに可能なあの音自体への無条…
宇多田ヒカルなら、宇多田ヒカルのアルバムの始めから最後まで通して聴くというのは、あの声、あの息つぎ、あの感情的な何かを、黙ってじっと聴くということで、そのとき、宇多田ヒカルという人は、聴くことで積み重なっていくこの独特のこれは、たしかに重…
図書館で借りたポール・オースター「ティンブクトゥ」を半分くらいまで読んだ。なかなかもの寂しい、自分の内側に膜を張った感傷の中に、いつまでも閉じこもっていたいような気にさせる作品だ。こんな話、もし犬を飼ってる人が読んだら、せつなくて読み進め…
宇多田ヒカルの新作の評判が高いようで、あまりにも高評価だと聴く前からちょっと引いてしまうというか、やたらと構えて聴かないといけないみたいな、勝手な思い込みによる妙な圧を感じてもいたのだが、とりあえずアルバム冒頭一曲目だけ聴いたら、これがた…
トマス・ピンチョンの短編集スロー・ラーナーより「Entropy」を読む。アパートでは三日間ぶっ続けのパーティーが行われていて、上の階では初老の男性カリストが、瀕死の小鳥を胸に抱いている。男性の傍らにはフランスとベトナムのハーフである女性オーバード…
妹からLINEで「今更だけど、お父さんの携帯電話まだ持ってる?」と聞かれた。なんでそんなこと聞くのか尋ねたら、もし写真が残ってたら、その中に姪を写したものがあるかが気になって、とのこと。なるほど、ほんとうに今更だな、僕は今まで、そんなこと思い…
あんこうとか、たらとか、ああいったゼラチン質が豊富な食材が好きで、冬場にスーパーなどでみかけるとつい買ってしまうのだが、今シーズンはいくらなんでも、あまりにもたくさん、あんこうを食べ過ぎた、と今日あんこうを食べながら思った。そもそも、こん…
ゼロ年代などという言葉があった気がするし、一〇年代という言葉もあったのかもしれないし、二〇年代もあるのかないのか知らないけど、今は二〇年代であるとは思っているけど、ただし二〇二二年だという認識が、すぐに呼び出される状態で常にスタンバイ出来…
今飲んでるこの酒の銘柄が何なのか、飲んだだけではわからないのだけど、しかしこの味わいは昔から好きだ、大衆的で安価で、昔からあって、今でもコンビニやスーパーで購入可能、立ち飲み屋とか屋台の明かりがもたらしてくれる安堵感と同等の何かを感じさせ…
グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」って、どんな話だったか、すっかり忘れていたので、wikipediaで確認したら、けっこう驚いた。子捨て、彷徨、飢餓、かまど、食人、そして、食べることができる家。そして倒錯と近親相姦の気配、なんだか、これぞまさに二…
きのうは映画の本を適当に本棚から引っ張り出して読み返していた。 映画愛の教師は、映画史のうつくしさにひたすら心うばわれている。そんな過去の輝かしさに閉じ込められたままの自分を肯定して、こころゆくまで自閉して、幸福な記憶を思い起こしてはとめど…
ハリウッドで映画が作られると言うよりも、映画にハリウッドが映りこむ。あるいはニースや太秦や蒲田が映りこむ。映画監督の取り巻かれている条件や、俳優の体調やかかえている事情、キャメラマンの技と努力が映りこむ。(たぶん脚本や演出は映画に映りこまな…
買い物のついでに、公園の梅の様子を見に行くが、まだ固い蕾がようやく芽吹き始めたばかりの段階でぜんぜん咲いてない。なんか大体同じ時期に同じ場所で、毎年のように、様子を見に来たけどまだ早かったとか言って引き返してる気がする。 野菜売り場で、カリ…
むかし総合格闘技の試合を観客席で観たことがあって、今でもおぼえてるのは、リング上で闘ってる選手に対して絶え間なくアドバイス、激励、叱咤を送り出している、リング脇にいる「師」の声だ。その声は、試合の初めから終わりまで滞ることなく続いていて、…
音楽を聴いていて「面白い音」や「斬新な音」にそうそう頻繁に出会えるとは思わないけど、「これはちょっといいかも」と思えるものはたまにある。最近だとCleo Sol「Mother」がそれだ。ふつうに聴きやすいサウンドとボーカルで、聴き慣れたような楽曲が大人…
しばらく前から、ピンチョン「重力の虹」を読んでいるのだが、この分厚くて重い本をふだん持ち歩き、電車の中で立ったまま、この本を開いて読むということに、少しずつ慣れつつある。とはいえこれ、いつになったら読み終わるのだろうか…。このペースだと、三…
きのう買い物に出たら、駅前や広場に成人式の晴れ着や袴やスーツの若者たちがいっぱいいた。すでに仲間でぎっしりの車に無理やり乗り込もうとしてるスーツ姿の男、袴姿で肩で風を切るように二人並んで歩いてる男たち、広場の片隅に点在、あるいは群れをなす…
DIC川村記念美術館「ミニマル/コンセプチュアル…」の展示作品より、河原温がフィッシャーから展示の依頼を受けて、(たしか、フィッシャー宛の手紙で)一度は消極的な姿勢を示した、とあって、なかなか生々しいというか、河原温の「身体」(思い)を感じさせる…
DIC川村記念美術館で「ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術」を観た。ドイツのフィッシャーギャラリーの活動をまとめたアーカイブとして、作品はもちろん、ドローイングや、下書きや、設営案や、ギャラリーとの…
ついに図書館にもスーパーなどと同じような「自動貸出機」が導入された。借りたい本を持ってバーコードをスキャンして、会員カードをあてれば貸出完了である。まあ、便利と言えば便利か…。ピンチョン「スロー・ラーナー」の冒頭を立ち読みしてたらものすごく…
今日は書くこともないし困ったなあと思いながら(半ば「ネタ探し」みたいな浅ましい心で)、荷風の「断腸亭日常」上巻の、今日の日付の箇所に何が書いてあるか読んでみた。僕は「断腸亭日常」はずっと下巻しか持ってなかったのだが、ついこの前ブックオフで上…
今年は暖冬だろうとの予想は完全に外した。ここ数年でいちばん寒いかもしれない。冬なのだから、寒いのはけっこうなことではあるけれど、それにしても外出する気が失せはする。いくつか観たい美術展覧会もあるのだけど、寒さを思うと外出がやや億劫になって…
今や無くなったと思うものの一つは、匂いだと思う。とくに燃料、火器、機械がたてる匂いが、すっかり無くなったように思う。油、煙、煤、とくに冬はそんな匂いにぜんたいが包まれていたはず。重油か煤か別の何かかわからないけど、手を触れたら指に真っ黒な…
お正月にテレビでやってる駅伝大会、走ってる人は、もはや息も絶え絶え、心身共に限界ぎりぎり、いつ死んでもおかしくないくらいの状態で、気力をふり絞って最後の数百メートルを走っている。それを中継地点で待つ第二走者。朗らかな笑顔で、涼し気な表情で…
二年ぶりに実家で年始の挨拶。二年やそこらではさほど時間の経過を感じないが、唯一の例外は姪の子の成長だ。春から五年生とは、この変化はけっこうすごいし、たしかに五年生らしくなってきた。当然のことながら、昔みたいなあの小さな生き物ではすでにここ…
Youtubeで配信中の、タルコフスキー「ストーカー」(1979年)を観た。 "ゾーン"を便宜上単純に言うならば、それは「神や精霊」「真理」「本質」のようなもので、国家だか軍だかわからないけど、何らかの権力によって近づくことを制限されていて、しかしおそら…