2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

映画:フィッシュマンズ

Amazon Primeで手嶋悠貴「映画:フィッシュマンズ」(2021年)を観る。佐藤伸治の逝去からすでに二十年以上が経過し、各関係者らの言葉にもようやく「かつてのこと」の客観性というか、屈託や感情も含めて、もはや遠い昔の記憶であることを感じさせるニュアン…

ナツメグ

ハンバーグを作ってみた。自らの手でハンバーグを作るなんて小学生のとき以来だが、いざ実際に作ってみると、ナツメグという香料の力をまずは思い知った、そう思った。もちろん和えることで肉の臭みを中和してくれるナツメグの香りを、これまで知らなかった…

自分メモ

■「保坂和志「小説的思考塾 vol.7」」自分メモ すぐれた作品の力が、素材そのものを、こちら側にぐっと引き寄せて展開させる。これが木だ、これが金属だ、言葉だ、言葉の命名、これがそれだ、それこそは大地だと。ふだんは隠れていて想像の外にあるものが、…

神は来ない

4月17日に配信された保坂和志「小説的思考塾 vol.7」の配信アーカイブを視聴していて、その話のなかで「もう神は来ない。しかし人は神を待っている、それが近代後期ではないか。」という言葉が出てきたけど、たしかにもはや神は来ない、それは誰もがわかって…

偶然の終わり

小学生のまだ一、二年生の頃か。自分の母親と同級生の母親が立ち話をしていて、母親の傍らにいた自分は、同級生の子をちらっと見てすぐに目を逸らせた。相手の子は母親のスカートの後ろに隠れて、訝し気な表情でこちらの様子をうかがっていた。小学校は同じ…

マルコムX

DVDでスパイク・リー「マルコムX」(1992年)を観た。これも、大昔に観て以来だ。しかし三時間ニ十分は長い。しかもそれほどの時間を必要とする映画に思えない、音楽の使い方もイマイチ冴えないし、特筆すべきところの見当たらない平板な評伝ドラマという感じ…

フィクサー

DVDでトニー・ギルロイ「フィクサー」(2007年)を再見。ティルダ・スウィントンという人を最初に知った(記憶に残った)のは、本作でだったと思う。十五年前という中途半端に一昔前の映画だと配信ではなかなか探しにくいのだけど、我が最寄り駅前に生き残って…

アネット

角川シネマ有楽町でレオス・カラックス「アネット」を観る。思ってたのと違った、というか…そうか、こういう感じだったか…という感じ。 オープニングは圧倒的に素晴らしく、森の中を二人でデートする場面も、アダム・ドライバーが跨るバイクの疾走も素晴らし…

勲章

永井荷風は「勲章」(1946年)で、自らが通い詰めるオペラ館の踊子部屋についてひとしきり記述した後、その混沌とした有様を以下のように例える。 オペラ館の踊子部屋というのは大体まずこんな有様で。即ち散らかし放題散らかしても、もうこれ以上はいかに散ら…

長い小説

長い小説を読むというのは、まずそれを読んでいるという確かさが揺らぐということで、なぜなら長い小説とは、どう考えても長大過ぎるので、もしそれを読み始めてしまったら、その小説をもう二度とはじめから最後まで一望できるような何かとしてはイメージで…

渋谷にあるイメージフォーラムという映画館には、確かめると過去にも数回、およそ五年に一度くらいは行ってるようなのだが、行くたびに、あれ、こんな場所だったか、全然記憶にないよと思う。先日も前回時の記憶をまったく思い出せないまま渋谷駅を降りて、…

演技

前にもブログに書いたことがある気がするけど、たとえば僕が、役者として演技しているところを自身で想像するのは困難だ。それは自分にその能力がないと思うからだ。ふだんの生活においても、喜んだり泣いたり怒ったりする振る舞いや表情や喋りかたを、自分…

ひかげの花

永井荷風「ひかげの花」(1934年)を読む。私娼と、そのヒモ。おそらくこの二人にも贈与交換の関係は成り立っている。それは共働きの夫婦や、男は仕事で女は家の夫婦が、それぞれの関係において成り立たせているものと、根本的には違わないはずだ。 問題は所得…

光りの墓

シアター・イメージフォーラムでアピチャッポン・ウィーラセタクン「光りの墓」(2016年)を観る。昨日観た「ブンミおじさんの森」では、ブンミさんの声と話し方のなめらかさが、とても印象に残った。余命いくばくもない老人の感じがあまりしない。とても艶の…

ブンミおじさんの森

シアター・イメージフォーラムでアピチャッポン・ウィーラセタクン「ブンミおじさんの森」(2010年)を観る。思いついたアイデアをかなりギュウギュウに詰め込んでる、という印象を受けたが、ベースにあるのは、おそらく作家自身の父親にまつわる過去の記憶で…

二階

小津安二郎作品における「二階」の描かれ方についての有名な批評的指摘。小津作品にとって「二階」という場所は、時速する制度や説話の磁場からなぜか忽然と切り離されて、ぽっかりと宙に浮かんだ特別な場所のようになっていて、その場所にかぎって、そこだ…

上野の戦争

永い慣例となっていた秋の帝展が、今度だけ春に開く。それも二月の末、温かい梅花薫る季節なのだが、例ならぬ寒さに加えて、東京が北国に変わったような稀有な大雪。節分の夜と、二十三日と、また更に二十六日の暁に、深々と積もった雪は、豊年の貢と昔から…

unknown

何年か前から気に入っていて、思い出すたびにしばしば聴いていた曲を、久しぶりにまた聴こうと思って、はたと手が止まる。アルバムタイトルもアーティスト名も、まったく記憶にないということに気付く。もう数年ごしに聴いていて、わりと気に入ってる曲の付…

雪解

永井荷風「雪解」(1922年)を、雪が降り止んだ冬の日差しの鮮烈さに驚きつつ読む。寒さ、そして光と影のコントラストの強烈さ。雨戸の隙間から、磨硝子の障子を通して洩れてくる、ほとんど目を細めたくなるような眩さ。目覚めた主人公の兼太郎が、借家二階の…

古雅

永井荷風「雨瀟瀟」(1921年)のヨウさんは会社経営していて、欧州戦争(第一次大戦)による好景気のおかげでお金には困らないのだが、「何ぼ何でもこの年になって色気で芸者は買えません。芸でも仕込んで楽しむより仕様がない。」とか言って、かねてから目を付…

雨瀟瀟

永井荷風「雨瀟瀟」(1921年)を読む。 その頃のことといったとて、いつも単調なわが身の上、別に変った話のあるわけではない。唯その頃までわたしは数年の間さしては心にも留めず成りゆきのまま送って来た孤独の境涯が、つまる処わたしの一生の結末であろう。…

ワンカット

Amazon Primeで、大島渚「飼育」(1961年)を観た。すごいワンシーン・ワンカットがいくつもあった。群衆による混乱状況の場面では、近景、中景、遠景、それぞれの人物がそれぞれ無関係に、しかしそれぞれの出来事が、転がる球がぶつかり合って連鎖していくか…

鏑木清方「随筆集 明治の東京」から、適当にいくつか読んでいるのだが、ここには絵描きとしての自分自身についてや、絵描きと経験や技術の話が、いっさい出てこない(絵描きを志したきっかけ、みたいな話は出てくるが)。ただただ、かつての東京について記憶に…

踵を見る

朝、駅へと向かって歩いているとき、前方を歩く人とスピードがほぼ一緒なことがある。こちらが速度を緩めたり早めたりせず、何も意識せずに、相手の背後について歩く状態が続くことになる。こうなったとき、自分は視線を下げて、前を歩く相手の踵のあたりを…

ホーリー・モーターズ

「ホーリー・モーターズ」をあらためて始めから最後まで観た。ドニ・ラヴァンの全裸が、なかなか神々しかった。バロック時代の絵画に描かれた殉教する使徒のような、ヨレヨレ、シワシワと、張り、艶、瑞々しさがすべて一つになった、横たわる身体。股間には…

時間を描く

竹橋の近代美術館の新収蔵品、ボナールの「プロヴァンス風景」を観る。ボナールは、物象ではなく「時間を描いている」と、ひとまず言ってみる。時間を描くことは出来るのか、出来る、たとえば、このようにしてだ、というわけではない。結果的に「時間を描い…

ドニ・ラヴァン

昨日、Amazon Primeでレオス・カラックス「ホーリー・モーターズ」(2012年)を観た。とても面白かった…ような気がするのだが、ところどころ、寝たり覚めたりしながらの鑑賞となり、さすがにこれでは、観たことにならない。にもかかわらず、観終わったときに「…

知らん

基本読み手に「知らんわ」と言わせたら、勝ちだなと思った。清々しくそう思われたらOK、というか受け手の期待なんて、当然ながら一切無考慮でいい。中途半端な連帯感や共感ではなくてむしろ断絶。ある種の音楽のようなズバッとした断絶感。てのがあるよな…あ…

鏑木清方展

竹橋の近代美術館で「没後50年 鏑木清方展」を観る。ある区画に切り込んでくる形の強さとか、浅さと深さを併せ持つような藍色とか、ことさら明治時代風の柄に寄せた縞模様だとか、それらの超絶的技巧が召喚されるがままに、ほしがるがままに開陳され、描かれ…

飼育

大江健三郎「飼育」を読む。江戸とか明治とか大正とか昭和とか、そういうこととはいっさい関係がなく、しかし国土のかなりの割合が当時きっとそのようであっただろう日本の国民の生活が、実体験から直接すくいとられたものとして、ここに文章化されている、…