2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

暑さ

昔の映画館は夏の間、当然のことながら冷房もなかった。以下に引用した情景は大正九年ごろ、淀川長治十一歳の頃の思い出を記述したもの。 この年の八月に、神戸の錦座は日活向島作品『尼僧最後の日』と、セシル・B・デミル監督のアートクラフト(のちのパラマ…

二十世紀美術

どういえばいいのか、たしかに僕は、当時あの《大ガラス》を知らなかった。でも、とらわれずに《四枚のガラス板》を制作するために、その知識を自分で抑えつけたのかもしれない。今からふりかえってみていえるんだが、僕の《ガラス》は、《エマ(階段を降りる…

鰹・白胡椒

鰹の刺身とタマネギの薄切り、葱、茗荷、生姜。これだけで生きていけると思うほどで、こればかり食べている。昔からそうだったけど、近年その頻度が極度に高まっている。数日連続同じものでもまったく問題ないと思うほど美味しい。何がこれほど美味しいのか…

夏豆塩

大量の枝豆をもらう。一番大きな鍋で茹でる。塩分、枝豆をゆでるときに加える塩、そして茹で上がった枝豆に加える塩。湯を捨てるときの、濛々と沸き立つ湯気に、手と顔を火傷しそうになりながら、指につまむことが出来ないほどの熱さのうちに、大皿に盛られ…

リヒター

いま、リヒターの展覧会がやっているけど、自分がいまリヒターを観ても何の感想も浮かばなそうで、観に行く前に何かしら手掛かりというか、考えるきっかけにでもなればと思って、本屋でリヒターに関する書籍を少し物色して「ゲルハルト・リヒター写真論/絵…

カリフォルニア・ドールズ

ロバート・アルドリッチ「カリフォルニア・ドールズ」(1981年)を録画で観る。蓮實重彦的「ハリウッド映画史観」における、その崩壊・終焉を象徴するというか、墓碑銘のような作品とも言えるのか。とはいえアルドリッチという名匠のこれが遺作であることにつ…

レディ・バード

Amazon Primeでグレタ・ガーウィグ「レディ・バード」(2017年)を観る。…シアーシャ・ローナンは、すごく大柄な人なんだな。…というかティモシー・シャラメが華奢過ぎるのかもしれないが。 グレタ・ガーウィグが主演し脚本にも加わった「フランシス・ハ」はけ…

青い床の室内が描かれた壁紙

DIC川村記念美術館の常設展示室で、ロイ・リキテンスタイン「青い床の室内が描かれた壁紙」(1992年)。この絵を、かなり長く観ていた。 ソファーや電気スタンドやクッションや観葉植物や縞模様のカーペットやドット柄の壁に掛かった絵のある室内風景である。 …

殺し屋ネルソン

ドン・シーゲル「殺し屋ネルソン」(1957年)。もちろん「ショットとは何か」で言及されている作品。Youtubeにあったのを観た。主人公の苛々と落ち着かない、何かに追い立てられているような切迫感に全編満ちている感じ。ネルソンは背が低い。いつも不機嫌そう…

F・マーリー・エイブラハム

映画「アマデウス」の魅力は、F・マーリー・エイブラハム演じるサリエリを観る面白さに尽きていると思う。サリエリという人が「敵」であるはずのモーツァルトに、つい同調してしまう瞬間とか、思わず本音を出してしまうとか、その内面の揺らぎを、俳優の彼が…

アマデウス

DVDでミロス・フォアマン「アマデウス」(1984年)を何十年かぶりに観た。むかしは「すごく面白い」と思った気がするのだけど、さすがにそれほどではなかった…という感じ。燃えさかる嫉妬心と自尊心崩壊に責められながらも、天才の力に魅せられ圧倒される「凡…

セインツ -約束の果て-

AmazonPrimeでデヴィッド・ロウリー「セインツ -約束の果て-」(2013年)。「ショットとは何か」で言及されているので観た。かなり良かった。はじまって早々に、もう逆らいがたく、確固たる世界のなかに閉じ込められた人達というか、止めようがないある運命に…

カラーフィールド

DIC川村記念美術館「カラーフィールド 色の海を泳ぐ」へ。いつものことながら、佐倉は遠かった。京成佐倉駅から無料送迎バスで美術館まで運ばれるのだが、今日はそのバスの時間も、やけに長く感じた。 総じての印象としては、思ってた通りだったとも言えるし…

ドリーの冒険

数日前から、蓮實重彦「ショットとは何か」を読んでいる。その中で言及されてたD・W・グリフィス「ドリーの冒険」(1908年)をYoutubeで観た。12分のフィルム、グリフィスのデビュー作。樽の中のドリーの運命や如何に。彼女は助かるのか否か、それをショットが…

動物曲芸

幼時から「見る」ということは私の執念のようなもので、菊人形、サーカス、奇術、ありとあらゆるものを見た。それは父につれられたわけで、私は「見ることの好きな」父の血をひいた。しかし見るといっても菊人形が機械じかけで動き、ガラスの中の魚が動く水…

六歳のときはすでに幼稚園にかよっていたのだが、車夫の送り迎えはがんこに嫌がった。しかし雨の日には、母が私をひざにのせ人力車で幼稚園の送り迎えをした。ところが歩いて幼稚園から帰っていると、そこを通りかかった私の家の芸者が人力車を止め、私をひ…

ラーメン

外食でのラーメンを、もう十年近くかそれ以上の期間、食べてないのではないか。家で、インスタントラーメンを食べたことは、これまであったかもしれないが、それもおそらく数えるほどだ。ラーメン店に入ったことが近年まったくないし、「つけ麺」と称する食…

フィジカル

しばらく前にフィットネスクラブの個人会員契約でなく法人契約であらためて再契約した。これで月謝支払いから都度利用支払いへと変わる。すでに入会して五年以上が経つのだが、初期のまだモティベーションが高かった時期は週二度とか三度とかの頻度で通って…

納得

スルメイカのワタを使った味噌ベースのソースにイカの身と白菜大根などの野菜と豚肉をくわえた鍋物というか煮込みをつくったのが昨日。イカの味わいがしっかりと活用された、とても良く出来たレシピだと思った。今日はハヤシライスの原型ともいわれるミロト…

収納

台所の食器棚脇の狭いスペースに、高さ180センチくらい幅と奥行は30×45くらいの細長い棚を設置した。これで既存の台所用品や食材の収納が大幅に整って、おかげでダイニングテーブルの上に何も物が置いてないすっきりな状態を作り出すことが出来た。これは我…

大竹伸朗

NHKで放送していた「21世紀のBUG男 画家 大竹伸朗」を見る。2006年の大規模回顧展から16年が経つのか。大竹伸朗、66歳か。でも外見・風貌が、昔とまったく変わってない感じがする。十何年前と今制作してる作品が、まったく変わらないかのように、本人自身も…

Out Of Touth

ダリル・ホール&ジョン・オーツの「Out of Touch」は1984年の曲だから、自分は中学一年で、ちょうど洋楽を聴き始めた頃で、当時はFENを毎週聴いていた。あの頃は、ひたすらトップ40を流してるラジオなんて、FENくらいしかなかったような気がする。洗濯機のあ…

散歩

小谷野敦「江藤淳と大江健三郎」をぱらぱらと読んでいて、以下の箇所で声をあげて笑ってしまった。大江健三郎はおもしろいな。 小説が停滞して苦しんでいたこの時期、大江は入水自殺のようなことをしかけたことがあったようだ。夏のある日、江の島に行き、砂…

家・母・映画

淀川長治「文藝別冊」収録の蓮實重彦・金井美恵子対談を読むと、淀川長治は、安保闘争なんて一切興味なかっただろうと思う。そもそもヌーヴェルヴァーグに興味がなかったならば、1968年の5月のカンヌのことだって、まるでどうでも良いと思っていただろう。 …

谷間

大江健三郎作品の「谷間」は、隠れ里だった時代からの古い歴史があり、そのいわば土層には、閉じ重ねられた「言い伝え」が埋まっているとも言えるだろう。大江健三郎にとっての「谷間」はまるでスクリーンのようにして、今ここで起きている事件と、かつて起…

70

安保闘争って、とんでもない出来事だったのだろうな…と、あらためて思う。不特定多数の人々が多数集まって、演説を聴き、行進して、デモに参加する。今ではとても信じられないようなムーブメントで、その当時の個々人の感覚は、もはや想像するのも難しいとい…

再現と反復

大江健三郎「懐かしい年への手紙」は1987年に刊行されている。当然ながら「個人的な体験」も「万延元年のフットボール」もすでに刊行されたあと書かれた作品で、これまでそのような小説を書いてきた作家であるKが主人公の小説だ。 しかし「個人的な体験」の…

女たち

ローリング・ストーンズ「Some Girls」(女たち)を、ものすごく久しぶりに、始めから終わりまで通して聴いた。とにかく、ものすごくうるさい音楽だと思った。こんなにやかましいレコードは、たぶん近年、まったく製造されてないのではと思うほどだ。このうる…

政治少年死す

大江健三郎『政治少年死す(「セヴンティーン」第二部)』を図書館で借りて読んだ。2018年刊行の「大江健三郎全小説3」に収録されたことで、はじめて公式に書籍化されたことをつい最近知った。 「セヴンティーン」も「政治少年死す」も、昔の小説だとは思う。…

動くもの

"日本の古本屋"で買った「淀川長治自伝」(中公文庫)が届いたので少しだけ読んだら、幼少時にみた視覚体験の記憶についての話がいきなり印象的で、おーっ…と思った。百年以上前に生まれた人の幼いころの視覚的体験に今の自分が思い当たるものを見出せてしまっ…