2026-01-01から1年間の記事一覧

SOMPO美術館で「ウジェーヌ・ブーダン展」を観る。この画家の歴史的な立ち位置は、じつにスリリングで、バビルソン派からはじまり外光を重視することで、印象派への橋渡しをしたと説明することの出来るような、絶妙な場所で仕事をした、そう納得させられるよ…

U-NEXTでライアン・クーグラー「罪人たち」(2025年)を観る。1930年代のアメリカ南部が舞台で、シカゴから戻ってきた黒人兄弟が酒場を開いて、その夜の開店準備に立ち回る。従弟の若者は、じつは素晴らしい腕前のブルース歌手なので、今夜店で演奏を披露する…

マルグリット・デュラスが監督した映画の特集上映が、アンスティチュ・フランセではじまる…という情報は少し前に知ったのだが、チケットは事前に買わないといけないことがわかったそのときはすでに「ラミュジカ」も「破壊しに、と彼女は言う」も(僕が行ける…

台風が迫りくる日の朝、通勤電車はがら空きだった。いざとなれば世間の人々も、このくらい一斉に在宅勤務またはお休みを取れるのなら、ふだんからもっとその権利を行使すれば良いのにと思う。そのほうが自宅の人も通勤の人も、共にハッピーではないかと。 が…

たしか去年か一昨年前のことだったと思って、このブログを検索すると、一昨年どころか四年前とか六年前とか、そんなことが珍しくない。すでにそれほど、もはや手の施しようもないくらい、現在から過去への距離感がおかしくなっている、これが年齢を重ねると…

最近は行きも帰りも毎日自転車で、歩いて駅まで行くのが久しぶりだったので、すでにアジサイが旺盛に咲いていることにようやく気づいた。 アジサイはきれいな花だが、日差しを浴びて燦々と輝いてるような花ではない。湿った日陰の薄暗い一画に、ひとかたまり…

U-NEXTで黒沢清「復讐: 運命の訪問者」(1997年)を観る。臆病で気の小さい兄と、粗野で暴力志向的な弟と、片足が悪く杖をつく采配者的な雰囲気の女が、本作の悪役三人衆で、なんか、本気なのかそうでもないのかよくわからない、煮え切らないというか一枚岩で…

ノハコで、井上実展「松の木の下」を観る。 何かが描いてある絵であり、それと同時に、何かを見るときの絵という感じもする。 たとえば雑草の生い茂る地面の絵だとしても、それとともに、そのような見え方、そこまでぐっと目を近づけて、あるいは虫メガネか…

「ヴァージニア・ウルフ エッセイ集」の冒頭にある「路上の音楽(ストリート・ミュージック)」をたまたま読んだら面白かった。そうなんですね!ウルフさんあなたって、じつは音楽めっちゃ好きなんですね!!つまり、そういうことだ。 実際、私はあるみすぼら…

安岡章太郎「私の濹東綺譚」を読んでいる。安岡章太郎は一九二〇年生まれで、永井荷風は一八七九年生まれ、四十一歳の差がある。そんなにあるのか…と思う。 この年齢差を一九七一年生まれのじぶんにあてはめると、一九三〇年生まれの人物が該当する。さらっ…

子母澤寛「味覚極楽」には会見相手として、ラス・ビハリ・ボースも出てくる。インド独立運動の重要人物としてイギリスに追われ、日本へ逃亡し新宿中村屋に身を隠していた時期だろう。 当時と今とでは情勢が違う。当たり前だが、しかし隔世の感がある。アジア…

子母澤寛という作家については何も知らなかったのだが、「味覚極楽」という本が本棚にあり、それをたまたま読んでいて、あとがきや著者紹介で著者についてはじめて知る。一八九二年に生まれて、一九六八年に死去。新聞記者出身で、その後作家に転身し、歴史…

渡辺哲夫「フロイトとベルクソン」を読んでいて、ようやく後半を過ぎたあたり。ベルクソンとフロイトの仕事を、近しい問題意識のニアミスのように捉えて、両者を重ねて読もうとする試みである。そのモチベーションの元は小林秀雄にある。小林秀雄の「感想」…

秋葉原の昭和通り周辺というと、ぼくは一昔前は毎日そのあたりにいた。今日、秋葉原で当時の知人らとの会合があり、いろいろとその頃を思い出させる懐かしさもあったのだが、新しいっぽいカフェのドアをたまたま開けたら、そこにいた店の主人が一昔前によく…

友人が最新のiPhoneで接写撮影した写真を見た。対象物の表面のフェルト生地の毛羽立ち一本一本までが、くっきりと写り込んでいるのに驚く。ただしこれって、表面というか境界というか、イメージのある側面に対する強い緊張ということで、イメージそのものの…

U-NEXTで黒沢清「復讐 消えない傷痕」(1997年)を観る。 すでに定まった運命からは逃れられない。若かろうが年寄りだろうが、チンピラだろうが偉い人だろうが、金があろうがなかろうが、いっさい関係なく、誰もがけっして、運命には逆らえない。それがこの世…

呑みすぎた日の朝は、ああ呑みすぎたと思って後悔する。朝にあんな思いはもうイヤだ、今後は控えめに、ほどほどにしようと思う。 でも、夜になればそのことは忘れる。いや、忘れるわけではない。朝から気を滅入らせる重い疲労を、しっかりおぼえていると言っ…

川崎駅の繁華街の路上に立ち、通りかかる男性に来店を誘う女性たち。彼女らは毎晩決まった場所に立っていて、行き過ぎようとする相手に、囁くように声をかける。 ただし声以前に、彼女らはまず視線である。通りを歩いていると、かすかな信号のようなものを感…

ぼくは三十歳のときに結婚して、今日で二十五年経った。おそろしい数字だ。結婚前と結婚後の期間が、ほぼ同じ長さに近付いているわけだが、ほぼ同じ長さと言ってもそれは数値上のことで、便宜上同じ長さとされるだけで、実質はまったく別の時間の流れと分量…

U-NEXTでオタール・イオセリアーニ「落葉」(1966年)を観る。 60年代、旧ソ連体制下のジョージアであるからには、我々の住むこの世界とは異なる景色と人物が存在し、異なる時間が流れているのではと予想するけど、まったくそんなことなかった。 ラジオ放送か…

妻とふたりで外食する機会は、昔と較べたら減った。休日の外出もわりと早めに帰宅のパターンが多い。あまり夜遅くまで外にいる気が薄れた。それでもたまには新しい店を訪れたら、それはそれで、もちろん面白い。 ただ当たり前のことだが、最近なら新しいレス…

フェンネルを大量にもらったので、これを使う料理ばかり、考えないといけない。ひとまず妻が、ペースト状にしてパスタ・ソースなどに使えるようにした。今日は鮭やらタコやらを買ってきて、そのソースをオイルその他と和えて食せるように試みた。妻は鯛の切…

スガダイローのピアノソロのアルバムを聴いていると、ダラー・ブランド(アブドゥーラ・イブラヒム)の「アフリカン・ピアノ」がふと思い起こされる。音の一粒一粒の、大きさが似ているというか、たまたま同じ尺度の定規を使ってるような感じがする。 「アフリ…

NHKの朝の連続ドラマは見てないのだけど、トレインドナースがテーマなのだな。 看護という仕事の有効性を突き詰めていく、その過程はものすごく二十世紀的な営為だと思っていて、そもそもナイチンゲールという人物が、19世紀時点で近代を先取りしていたわけ…

植物は、ものすごくゆっくり動く生物である。その速度感は、人間の知覚能力では認識することができないほどのスピードである。だからオジギソウのように、触るといきなり動く植物は、面白くて、つい何度でも触ってしまう。もちろんそれは、ぼくが子供の頃の…

唐突ながら、クイーンの「マイ・ベスト・フレンド」(You're My Best Friend)という曲、作者はベーシストのジョン・ディーコンだが、いまさらだけどこの曲のベースは、かなり良いなと。 よくビートルズの「サムシング」における、ポール・マッカートニーの…

居酒屋で酒を呑む呑まないとか、良い客悪い客とか、いろいろあるが、自分をふりかえって思うに、くりかえし訪れる一軒の店に対する客の態度振る舞いは、その人物の他者との関わりかたを反映するものだろう。 客は初見の店が怖いが、店も初見の客が怖いに違い…

東品川のTERRADA ART COMPLEX IとⅡで「岡﨑乾二郎|New works 54」を観る。すべて小品ながら、計3会場に全部で50点以上の作品があり、その点数に驚く。そもそも去年の現代美術館における回顧/新作展が、途方もない規模のものだったわけだが、今回を見るかぎ…

ブレッソン「田舎司祭の日記」の後半、いよいよ司祭の体調は悪化し、教区を去って町の病院へと向かうとき、領主家の従兄にあたる男性が大型バイクで通りかかり、駅まで送るから後ろに乗ってくださいと司祭に勧める。 次の場面では、大きな音を立てて二人乗り…

U-NEXTでロベール・ブレッソン「田舎司祭の日記」(1951年)を観る。 若い司祭が、ある教区に勤めることになった。彼は以前からの強い胃の痛みでふつうの食事もままならず、ワインに浸したパンを食すだけで日々を過ごしている。そんな若い司祭が、新たな任地で…