2026-05-01から1ヶ月間の記事一覧
U-NEXTで黒沢清「復讐: 運命の訪問者」(1997年)を観る。臆病で気の小さい兄と、粗野で暴力志向的な弟と、片足が悪く杖をつく采配者的な雰囲気の女が、本作の悪役三人衆で、なんか、本気なのかそうでもないのかよくわからない、煮え切らないというか一枚岩で…
ノハコで、井上実展「松の木の下」を観る。 何かが描いてある絵であり、それと同時に、何かを見るときの絵という感じもする。 たとえば雑草の生い茂る地面の絵だとしても、それとともに、そのような見え方、そこまでぐっと目を近づけて、あるいは虫メガネか…
「ヴァージニア・ウルフ エッセイ集」の冒頭にある「路上の音楽(ストリート・ミュージック)」をたまたま読んだら面白かった。そうなんですね!ウルフさんあなたって、じつは音楽めっちゃ好きなんですね!!つまり、そういうことだ。 実際、私はあるみすぼら…
安岡章太郎「私の濹東綺譚」を読んでいる。安岡章太郎は一九二〇年生まれで、永井荷風は一八七九年生まれ、四十一歳の差がある。そんなにあるのか…と思う。 この年齢差を一九七一年生まれのじぶんにあてはめると、一九三〇年生まれの人物が該当する。さらっ…
子母澤寛「味覚極楽」には会見相手として、ラス・ビハリ・ボースも出てくる。インド独立運動の重要人物としてイギリスに追われ、日本へ逃亡し新宿中村屋に身を隠していた時期だろう。 当時と今とでは情勢が違う。当たり前だが、しかし隔世の感がある。アジア…
子母澤寛という作家については何も知らなかったのだが、「味覚極楽」という本が本棚にあり、それをたまたま読んでいて、あとがきや著者紹介で著者についてはじめて知る。一八九二年に生まれて、一九六八年に死去。新聞記者出身で、その後作家に転身し、歴史…
渡辺哲夫「フロイトとベルクソン」を読んでいて、ようやく後半を過ぎたあたり。ベルクソンとフロイトの仕事を、近しい問題意識のニアミスのように捉えて、両者を重ねて読もうとする試みである。そのモチベーションの元は小林秀雄にある。小林秀雄の「感想」…
秋葉原の昭和通り周辺というと、ぼくは一昔前は毎日そのあたりにいた。今日、秋葉原で当時の知人らとの会合があり、いろいろとその頃を思い出させる懐かしさもあったのだが、新しいっぽいカフェのドアをたまたま開けたら、そこにいた店の主人が一昔前によく…
友人が最新のiPhoneで接写撮影した写真を見た。対象物の表面のフェルト生地の毛羽立ち一本一本までが、くっきりと写り込んでいるのに驚く。ただしこれって、表面というか境界というか、イメージのある側面に対する強い緊張ということで、イメージそのものの…
U-NEXTで黒沢清「復讐 消えない傷痕」(1997年)を観る。 すでに定まった運命からは逃れられない。若かろうが年寄りだろうが、チンピラだろうが偉い人だろうが、金があろうがなかろうが、いっさい関係なく、誰もがけっして、運命には逆らえない。それがこの世…
呑みすぎた日の朝は、ああ呑みすぎたと思って後悔する。朝にあんな思いはもうイヤだ、今後は控えめに、ほどほどにしようと思う。 でも、夜になればそのことは忘れる。いや、忘れるわけではない。朝から気を滅入らせる重い疲労を、しっかりおぼえていると言っ…
川崎駅の繁華街の路上に立ち、通りかかる男性に来店を誘う女性たち。彼女らは毎晩決まった場所に立っていて、行き過ぎようとする相手に、囁くように声をかける。 ただし声以前に、彼女らはまず視線である。通りを歩いていると、かすかな信号のようなものを感…
ぼくは三十歳のときに結婚して、今日で二十五年経った。おそろしい数字だ。結婚前と結婚後の期間が、ほぼ同じ長さに近付いているわけだが、ほぼ同じ長さと言ってもそれは数値上のことで、便宜上同じ長さとされるだけで、実質はまったく別の時間の流れと分量…
U-NEXTでオタール・イオセリアーニ「落葉」(1966年)を観る。 60年代、旧ソ連体制下のジョージアであるからには、我々の住むこの世界とは異なる景色と人物が存在し、異なる時間が流れているのではと予想するけど、まったくそんなことなかった。 ラジオ放送か…
妻とふたりで外食する機会は、昔と較べたら減った。休日の外出もわりと早めに帰宅のパターンが多い。あまり夜遅くまで外にいる気が薄れた。それでもたまには新しい店を訪れたら、それはそれで、もちろん面白い。 ただ当たり前のことだが、最近なら新しいレス…
フェンネルを大量にもらったので、これを使う料理ばかり、考えないといけない。ひとまず妻が、ペースト状にしてパスタ・ソースなどに使えるようにした。今日は鮭やらタコやらを買ってきて、そのソースをオイルその他と和えて食せるように試みた。妻は鯛の切…
スガダイローのピアノソロのアルバムを聴いていると、ダラー・ブランド(アブドゥーラ・イブラヒム)の「アフリカン・ピアノ」がふと思い起こされる。音の一粒一粒の、大きさが似ているというか、たまたま同じ尺度の定規を使ってるような感じがする。 「アフリ…
NHKの朝の連続ドラマは見てないのだけど、トレインドナースがテーマなのだな。 看護という仕事の有効性を突き詰めていく、その過程はものすごく二十世紀的な営為だと思っていて、そもそもナイチンゲールという人物が、19世紀時点で近代を先取りしていたわけ…
植物は、ものすごくゆっくり動く生物である。その速度感は、人間の知覚能力では認識することができないほどのスピードである。だからオジギソウのように、触るといきなり動く植物は、面白くて、つい何度でも触ってしまう。もちろんそれは、ぼくが子供の頃の…
唐突ながら、クイーンの「マイ・ベスト・フレンド」(You're My Best Friend)という曲、作者はベーシストのジョン・ディーコンだが、いまさらだけどこの曲のベースは、かなり良いなと。 よくビートルズの「サムシング」における、ポール・マッカートニーの…
居酒屋で酒を呑む呑まないとか、良い客悪い客とか、いろいろあるが、自分をふりかえって思うに、くりかえし訪れる一軒の店に対する客の態度振る舞いは、その人物の他者との関わりかたを反映するものだろう。 客は初見の店が怖いが、店も初見の客が怖いに違い…
東品川のTERRADA ART COMPLEX IとⅡで「岡﨑乾二郎|New works 54」を観る。すべて小品ながら、計3会場に全部で50点以上の作品があり、その点数に驚く。そもそも去年の現代美術館における回顧/新作展が、途方もない規模のものだったわけだが、今回を見るかぎ…
ブレッソン「田舎司祭の日記」の後半、いよいよ司祭の体調は悪化し、教区を去って町の病院へと向かうとき、領主家の従兄にあたる男性が大型バイクで通りかかり、駅まで送るから後ろに乗ってくださいと司祭に勧める。 次の場面では、大きな音を立てて二人乗り…
U-NEXTでロベール・ブレッソン「田舎司祭の日記」(1951年)を観る。 若い司祭が、ある教区に勤めることになった。彼は以前からの強い胃の痛みでふつうの食事もままならず、ワインに浸したパンを食すだけで日々を過ごしている。そんな若い司祭が、新たな任地で…
先日の竹橋の美術館の、コレクション企画展示内で、ひさびさにビル・ヴィオラのヴィデオ・アート(The Reflecting Pool)を観た。ビル・ヴィオラをひさびさに観て面白かったので、帰宅してから、youtubeを探して出てきた本人インタビューや非公式なものなど、…
窓を開けていると、かすかな風が、部屋を通り抜けていく。これだよ。これがいちばん気持ちいいのだ。連休中のいちばんの思い出がこれでもいいくらいだ。 住まいから、最寄り沿線の線路までは、2kmくらいは離れていると思うが、窓を開けていると、電車の走る…
竹橋で下村観山展を観た、のだが館内がそこそこ混雑していたので、その時点でじっくり観る意欲をうしない、たまたま前に人がいない作品だけ少し観たくらいで、あとはおおむねざーっと会場内を歩いて通り過ぎる感じでその場を後にしたので、ちゃんと観たとは…
U-NEXTで大島渚「愛のコリーダ」(1976年)を観る。上映時間1時間44分が、正直なかなかキツかった。途中で、もうこれは観なくてもいいかも、こういうものだと知ったのだから、それで打ち切ろうかとも思ったのだが、いやあともう一時間ばかり、これに耐え続ける…
1921年、ヘミングウェイは22歳のときにパリに渡った。20年代のパリは今から見て、もはや神話の世界であり、かつ大戦へ飛び込んでいく若者をも包み込んでいて、あれから百年、我々は相変わらず、同じことを繰り返すのかもしれないなあ…と思う。 1924年、岡田…
汗ばむような陽気のなか、中目黒駅から川沿いを歩く。白サギがやたらといる。着地した水の流れを足でまさぐり、ときおり水に頭を突っ込んでる。 目黒区美術館の「岡田謙三 パリ・目黒・ニューヨーク」を観る。 一般に、岡田謙三と言えば、渡米後の仕事の数々…