「Rid of Me」 PJ Harvey


Rid of Me


僕は歌の歌詞を、ほとんどまともに読まないし、聴こえてきてもその意味を積極的に理解しようとしない。というか、歌詞の言葉の意味をそのまま文字に書き移して読んだりする事の意味があまりよく判らない。そういう風に読んでも、あんまり面白くない気がする。そういう風に読むことは勿論可能だけど、その様に読むことと、サウンドの一要素として歌われる事は、当然ながらまるで違う事だ。


PJ Harveyがブレイクしたのは93年頃、当時グランジと呼ばれた風潮の中、スティーブ・アルビニのプロデュースによって、ここで紹介するセカンドアルバム「Rid of Me」をリリースした頃であったと思う。男性器を想像させる曲タイトルとか、傷ついた私を自虐的/自己憐憫的に歌ったりとか、初期段階でのイメージとしては相当痛い感じにしか思えない訳だが、サウンドを聴いたら、この女性はすごいって感じで、当時もう最高に夢中になって聴いたものだ。


たとえば、ポーリーン・ジェイ・ハービィの「私は傷ついてる」とか「私は血を流している」などと歌ってる人を前にしたら、通常、聴く方としては困ると思う。どっか他所でやってよ。とか思うのが普通だ。…ただ、「私は傷ついてる」という言葉の、言葉の意味自体が脱臼しているような事態を目の当たりにした場合だけ、人は、そっちの方を向き、耳を傾けるだろう。


ロック・ミュージックが最良の状態で鳴るとき、サウンドは常に、形振り構わぬ歓喜の洪水として降り注ぐのだが、それに乗っかっている言葉が「私は傷ついてる」というかたちをしているとき、言葉の意味は容易に脱臼してしまい、それが歌い手の苦痛とか歓喜を遥かに越えた、得体の知れぬ何かとして聴く者に届くだろう。このような状態を作り出すための、「激情に駆られる私」への冷静な眼差しを持っている意味で、結局のところポーリーン・ジェイ・ハービィはそのような(ベタな芝居をリフレッシュさせる能力に長けた)優秀な役者として、ステージに居たのだと思う。


プロデューサーのスティーブ・アルビニは、ニルバーナの2ndアルバムを手掛けた人物だが、ニルバーナのカート・コバーンが人間的には良くも悪くも、あまりにもナイーブであった(ベタな芝居をベタに全うした)事を思うと、結構感慨深いものがある。(更に付け加えれば、ニルバーナ1stのプロデュースをしたアンディ・ ウォレスが手掛けたジェフバックリイの1stアルバム「Grace」も、極めてグランジ的色合いの強い作品であったが、ジェフバックリイ自身もセカンドのリリースを待つ事無く他界してしまう。死因は事故死だが…この人も出自や持って生まれた自分の才能に苛まれるという、あまりにもベタな宿命を背負って、それに押しつぶされたかのような人で、ナイーブさをそのまま、人の形にしたようなミュージシャンであった。)


ちなみに僕は、カート・コバーンなんてカッコいいと思ったこと一度も無い。ジェフバックリイはなかなか良いけど、やっぱり相当いっぱいいっぱいな感じで青臭すぎる。(まあでも相当聴きましたが) …ポーリーン・ジェイ・ハービィは、少なくとも昔はすごく良くて、超エロい真っ赤なワンピに踵がぐっと持ち上がったサンダルで、ボロいギブソンを掻き鳴らしていて(ギター結構上手いし、当時のバンドが超・上手かったし)すごい良かった。もう、普通にカッコいいから良かった。あと歌がやっぱりたまらなく上手いと思う。歌の上手さとは何?と言ったらそれこそ好みなんだろうけど、僕が感動させられるのはあらゆる局面での対処が、全部出来てるのを見せられるところ…って意味判らないかもしれないけど、もう絶対「制御」を越えるような状況を作っていないところっていうか、感情が高ぶって、コントロールを振り切っているかのように感じられるところも、ちゃんと計算済み臭いところというか…。そう。こういうところに僕のすごい反動性というか、保守性が出てるとも、思うのだけれど…。