白くまピース


白くまピース ~日本初・人工哺育の全記録~ [DVD]


理由もなくそこに居て、腕を齧ったりカーテンにしがみ付こうとしてころんとひっくり返ったり、ヨタヨタと這い寄ってきて膝の辺りにすり寄ってみたり、確かに、白くまピースのかわいさは疾走する。涙は追いつけない。涙の内に玩弄するには可愛らし過ぎる。意味や文脈や理由から離れて屹立していて、自分の喜びとか悲しみとか、そういうこちらの都合による感情とも全く切れていて、こちらに全く無関心で気にも止めていなくて。…要するに、僕がどこまでいっても受動的にしか関われない対象で、そう。でもかわいい。…いつの日か直に触れ合うことができる日が来ると信じているけれど、でもあくまでもその直前までにおいてだけ、かわいい。


白くまピースとか、犬とかネコとかはかわいくてかわいくて、いてもたってもいられない。だから、僕はもうたまらず、傍らの妻にやにわに抱きついてじっと硬直してみたり、急に身を翻して宙を切り裂くように横っ飛びで後ろの冷蔵庫に逆さにしがみ付いたり、そのまま夜のとばりが降りて星がまたたきはじめた頃、天井を伝ってゆっくりと再びテレビ画面の前に戻って来たり、そんな風にいつでもこの僕を少しばかりクレイジーにさせてしまう。マジそれより他、なす術がないくらいの気持ち…。でも、たとえば僕が、テレビ画面内のかわいい女子とか、現実世界の街を歩き過ぎ行く生身の体をもつ女子とか、そういうのを見て「かわいい」と思ってしまう心とは何か?


偶像的立位置にいてくれるキャラクターを崇め奉る事は、楽しい気分になれる。現実の風景の中で、思わず追ってしまう目線から逃れるように、しぐさとか残り香とか笑い声とか靴音の残響音だけを残して、一瞬で跡形も無く消えさる誰とも知らぬ人のイメージが、まだ現実の空間に余韻を残しているのも、楽しい気分になれる。多分、もっとも楽しい瞬間というのは、登場したばかりの、余計な物語を伴わない一枚岩のイメージの効果が効いてるときで、そういう時、たとえばそういう女性はもう光り輝くようにかわいい。その後、延命というか「食ってかなきゃ」いけなくなったとき、どうしても物語とかがくっついて来て途端に輝きを失う事が避けられないのだけれど。


「無垢」という概念など幻想に過ぎないと思いながらも、でもそのようなかわいいものたちが鮮度を保っていられるのが、ほんの僅かな一瞬であることは間違いなく、要するにその一瞬の状態を「無垢」と呼ぶのだとすれば、それなら、かわいいものたちの無垢なる瞬間を逃したくないなあと思うし、何とかこの手に収めて置けないものかとも思う。


ちなみに、こないだNHKで再放送した白くまピースの録画には失敗した。エンコーダで動画保存しようとしたら、マシン起動後20分くらいハングしやがった。セキュリティソフトのせいだろうか?マジで本当にWindowsってカスみたいなOSだ氏ねや。セキュリティソフトを無事に動かすためだけにこの世に存在しているような、存在自体が倒錯したOSで、もう、この際一式全部、窓から投げ捨てたくなる感じである。…結局ピースがちょっと成長して、どうにもあんまりかわいくなくなってきた頃に復活。その後、終了まで録画した。