「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」


ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ 完全版 [DVD]


表題の映画をCSチャンネルにて見る。ただし全体(3時間50分弱)のうち途中2時間ほど過ぎたところから見始めた。労働組合のリーダーが脅迫されるあたりから。


この映画をはじめて観たのは中学2年くらいのときで、ロードショウ公開されたときはたしか新宿ミラノ座で、そこで訳のわからぬ強い印象を受けて、その後名画座でやっているのを見つけては観に出かけて何度も観た。たぶん高田馬場パール座とか三鷹オスカーとか大塚の何とかいうとことか…数年後、家でもビデオデッキを買って(家はビデオデッキを買ったのが他所の家より遅かった。)ビデオでリリースされたのを知って、レンタルで借りれるようになってからも何度か観た。今まで何度かテレビ放映されたときも、吹き替えの違和感を堪えつつ観ているので、まあ今でも映画全編をほぼおぼえている感じ。ビデオではじめて完全版というのが出て、そこで追加収録されたシーンなんかは、記憶の中で他のシーンと調和していないツギハギのようにも感じる。


この映画の場合、少年時代から老年に至るまで続くある男同士の関係を、時代の変遷とか恋人とか仕事とか金とか出世とか夢とかが絡みつつ現実のような夢のような淡い良い感じの雰囲気で、時間軸を行ったり戻ったりするというものなのだが、その物語を理解・把握する事にそれほど意味があるとは思えず、むしろある感傷とか余韻とかをひたすら楽しむ事に専念すれば問題ないというような仕上がりだと思う。それを腹いっぱい楽しむ。僕の場合は最初に中学生くらいの理解力で観たから、それが却って良かったというのがある。各要素がすごくゴージャスで、それら一つ一つを観ているだけで良かった。エレベータが下りてくると同時に轟音で銃声が鳴り響くとか、拷問を受けて血塗れになって吊るされるとか、マシンガンで蜂の巣にされる黒塗りの車とか、あれら一つ一つを観ているのがひたすら幸せであった。


デニーロが休暇をとってホテルのレストランを貸しきって、そこで恋人のエリザベス・マクガヴァンと食事をしながら弦楽生演奏に併せて踊り、その後砂浜に寝そべりながら会話をし合う。あの豪華絢爛さには胸がときめいたものだ。踊ってる最中、運ばれてきた料理を待たせてるところが最高である。…そしてその後、帰りの車の中で凄惨極まりない強姦シーンへと繋がる。あの一連のシーンを僕はもう何度も観ているけど、あれが恋人との最高の夜→でもフラれた→自暴自棄になってやり場の無い気持ちのまま相手を陵辱…。という意味だと思って観た事は一度もない。僕はあのシーンを今まで何度も観て、何を考えているのだろう?あの車の窓の外の景色(もう朝になろうとする薄暗く青い空が流れていく)を背景に、為すすべなく開脚させられ靴の裏側を上方に向けさせられているエリザベス・マクガヴァンの両足や白いドレスを引きちぎられて露にされる乳房や、酷く鋭い悲鳴や、そういうのを何度も観て来たのだ。それは性的興味でもあったし、もっと薄ら寒い何かでもあった。しかし感情移入ではない。僕はあのシーンの犯す側でも犯される側でもない。今まで只、観てきた感じだ。そしてその後一人になったデ・ニーロの背後に青い海が広がっているのが見えたときの、あの本当に現実の海の傍に来てしまったときのような、寒くもあり甘くもあるようなリアルさ。僕はとにかくそういうのを感じたくて、今までこの映画を何度でも観たのであった。


あるいは、ジェームス・ウッズの愛人となるチューズデイ・ウェルドが、娼館で久々に再会した男たちの股間をそれぞれ順番に触っていくシーン。あれなんか、中学生当時の自分はおそらくその行為の「意味」がまったく判っていなかったのであるが、それでもあの、股間をまさぐりながら「よろしくね」と挨拶していくチューズデイ・ウェルドの顔を見ながら、何か云いようも無い大人の事情みたいなニュアンスを感じていたのだと思う。(これに「欲情」したり「猥褻感を楽しむ」事ができる知識は中2の時点ではなかった。僕は非常にその手の性的知識に疎かった。話が飛ぶが、ちなみに「蜘蛛女のキス」という映画なんかを、やはり中学生のとき観にいったりもしたが、そのとき「同性愛」というものの存在を知らずに観ていた。でもまあ、それでも何となく映画というのは楽しめるものなのだけど。。っていうか中学生位の年って普通に同姓愛と異性愛の中間のところに居ると思う。。そういえば、あの頃は淀川長冶の映画の部屋というテレビで紹介される映画をなるべく観ようとしてたような気がする。あのテレビ番組のスポンサーはたしかワシントンホテルで、CMでいつもホテル内レストランのステーキとカリフォルニアワインが出てきて、それが異様に旨そうに思えたものだ。)


まあ、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は僕にとって多分、ほかと取替えのきかないような決定的なものとして出会った映画だったのだが、しかし多分に打算もあって当時から「あえて」気に入った映画でもあったのだ。なにしろ観るところがいっぱいあったし役者も皆カッコよかった。だから何度でも観れるだろうと、それなりに計算したところもあったのだ。感動的なところも多いし。。だから大人の世の中の事とかをまったく判って無いくせに、何度でも観れたのだろう。で、今観てもまだそこそこ面白く観れてしまうところもある。とはいえ、さすがに今となってはもう、もはや感傷を楽しむ事でしかないかもしれないが。まあ今日は前半の少年時代の部分をまるで見てないし、マシンガンがバリバリいうところもあまり観てないから、それはまた今度観るだろう。