今日は二度目の今日


時をかける少女」をCSにて(そんな気はなかったのについ最後まで)観る。…大林宣彦は偉い。立派だ。これこそまさに「イメージ通り」なのではあるまいか?恥ずかしかろうが何だろうが、このように、やりたい事を確実にやり遂げたというのがすごい。まったく恥じる事のない堂々とした三文芝居の立派さに、爆笑しながらもつい泣けてしまう。

それでは、貴方との小さい頃の楽しかった思い出は、みんな嘘だったのね。でも、私の気持ちは、嘘ではなかったわ

…そうよね?あのうたは、…あのうたのつづきは、…あれは嘘ではないわね?…だってあれは、…あれは貴方が教えてくれたのよ。

…いやよ、いや!…いや。…私、わからないわ。この気持ちは一体何?…胸が苦しいわ。わからないわ。これは、愛なの?これは愛するってこと?

  (…それはやがてわかるときが来るよ)

だって!…もう時間がないわ。どうして時間は過ぎていくの?

  (…過ぎていくものじゃない。時間は、やってくるものなんだ。)

じゃあ、またやって来る?…この時代へ。

  (うん。多分…)

じゃあ、また会えるのね?私たち。また。

  (うん。でも君には僕だとわからない…まったく別の人間として。君を見つけることは出来ない。)

わかるわ!私には

…さようなら…忘れない…さようなら

手垢にまみれたお約束の旋律が、時と場合によっては必ずしも瑕疵にならず、むしろ大いなるいたわりとして作用するのと同じ事が、おそらくここでも起きている。。桃栗三年、柿八年。…なお、息子夫婦と孫を失った老夫婦役を演じるのは、まさに老人となった上原謙入江たか子である。「私たちは…いつまでも…二人きりなんですかねえ…」という入江のつぶやきに、そこに至るまでの上原や入江の役柄の遍歴をつい重ねてしまい、思わず胸が締め付けられる。