桐野


先週か先々週くらいに「翔ぶが如く」三巻の途中まで読み進めて来て、なんか飽きてきてしまい、ひとまず中断して別の本に浮気していたりしたのだが、数日前からまた復帰した。西郷が陸軍大将を辞職し、鹿児島へ帰ろうとする後を追って、桐野利秋も陸軍少将を辞職しようとしているところあたりまでの箇所だ。


翔ぶが如く」では西郷隆盛大久保利通という登場人物はもうほとんど、生きた人間の感じを半分くらい亡くしてしまっている。巨大な運命というか、濁流めいた歴史の欠片という感じで、人物の描写もほとんどそういう神話的な色合いが濃く、人間のどうなることやらわからないような信頼のおけぬ生々しさみたいなものを完全に欠いている。


対称的に生き生きとして人間臭いのは、西郷の右腕であり用心棒でもある桐野利秋であるとか、日本に警察制度を打ち立てようと躍起になっている川路利良とか、あのあたりであろう。少なくとも第一巻の冒頭で登場する川路利良があまりにも魅力的で、その川路と桐野との、何とも言葉にあらわしがたいような関係が何度か重ねられるときの興奮というのは尋常ではない。それと較べると、如何に歴史が大転換しようが日本国が抜本変化しようが、あんまり大したことじゃないような気にすらなる。


…しかし、とにかく今読んでる箇所では、桐野がいつにもまして気合い入れて自らの行動を計っている。…桐野利秋という人は…まあ要するに、西郷隆盛を大好きで大好きで仕方がないという人である。西郷の下にいてこそ、自分という人間の存在価値があり、西郷の為に死んでこそ、生まれてきた意味があるというくらいの気持ちがあるのだ。…そんな人物である桐野が、西郷が東京を離れるという情報を耳にして、本気になって自分という存在を計り、考え、ある行動に賭けようとしているのだ。…息を詰めて先へ読み進みたい。。

西郷は当然ながら辞表を出すことを桐野に諮らなかった。桐野はその翌二十四日にその事実を知り、一瞬おどろいたが、桐野の痛烈さはつぎの瞬間には行動にうつったことである。自分も辞めることであった。かれにとって腐れ政府の陸軍少将などなんの未練もない。

(中略)

西郷が辞めたと知れば近衛の薩摩人はおそらく大挙辞職するだろうということは桐野もわかっている。桐野にすれば、それらとともに群れて辞めるというのが自分自身の節度に対して片腹痛く、いやらしく、いさぎよくない。やめるなら西郷のつぎに辞めたく、これを合戦でいえば一騎で突進して敵に二番槍を付けるという気ぜわしさに似ていた。
桐野は太政官の正院へゆき、役人からひったくるようにして筆硯を借り、辞表を書いた。

翔ぶが如く(三) 154頁)