「DE9|Transitions」Richie Hawtin


De9: Transitions + DVD


昨日と今日はずーっとこればかり聴いた。DVD+CDの2枚組でDVDの方がフルバージョン。同封されてるCDは収録可能な最大時間である74分のショートバージョン。あとオマケとして携帯プレイヤーのために96分バージョンと同一テイクのMP3が収録されてる。DVDからリッピングしないで済むというなかなか親切なパッケージである。


たとえば、アナログのターンテーブルとミキサーを駆使して曲をミックスさせるというのは、いわば超大馬力エンジンを積んだグリップ力ゼロのクルマを無理やり駆動させてコントロールする、みたいなところがあるようになんとなく想像していて、いやそれはターンテーブルだけでなく、およそ人間と道具とか、人間と楽器とか、人間と機械とかとの関係はみなそういう摩擦や抵抗と想像力との親和のあくなき繰り返しで、そこに独自な魅力があるのだと思っている。思うようにならない事の、現実との干渉がファンクを生み出すのだとも思う。だから、本作品のようなデジタルを徹底的に使い倒したサウンドの再構築というのは、正直おもしろいのだろうか?というのが理屈の上ではどうしても感じてしまう疑問なのだ。DJはもうピッチ合わせとかの労苦から開放されたのだ、というのは本当なのだろうか?ブツッ!!と針が飛んだり、わざとピッチをずらしたりするときの、あの急に地肌に冷たいものを直に当てられたような「寒さ」というのは、本当に無くなってしまって良いのだろうか?あれこそが、ファンクなのではなかろうか?などとも思う。


とはいえ、だから本作品がつまらないのか?と言ったら、残念ながら全然そうではなくて、その逆なのである。これは素晴らしい。


メインのDVDの方を一応最初から最後までちゃんと聴いた。映像は黒い背景に、再生されてる曲のタイトル文字が白く浮かび上がっては消えていくだけ。96分ノンストップ。画面をみてると、少なくとも2曲くらい、多いときには5曲以上の曲が、同時に再生されているということがわかる。すーっとフェードアウトしていった曲が、少ししてまたサワリだけ、ふわっと浮かび上がってきたりもしているようだ。曲というよりはかつて曲だったもの、というか、曲のかけら、というか、あるフラグメンツでしかないようなものの集積で、全体ができている。


作品というものが実際は、過去の引用の集積でしかないというのを、まさに文字通り具現化した、などと言うこともできるかもしれないけど、でもそんなことをいまさら、音楽で証明したって何も面白くはないわけで、そんな事よりも重要なのは、結果的にでてきたこの作品全体がもつこの感触の方だろう。


ここで聴こえてくるサウンドはきわめてミニマルなものであり、ある意味何の抑揚もダイナミックな変化もなく、平坦で単調ですらあるのだが、その只中にいると、繊細な音の欠片たちの粒立ちひとつひとつに、次第に神経が同調してくる。音があらわれて、ある箇所に付与された感じを、なるべくひとつも取りこぼさないように耳を傾けていくことになる。その色合いや湿度が、変わらないようでもあり、変わり続けるようでもある。曲のMIXによって変遷してゆくともいえるし、その単位のさらに上位階層がまた別のものがたりをつむいでいるのだともいえる。このMIXには、使用された曲リストとは別に、それぞれをグルーピングしたものにそれぞれタイトルがついている。いわば「章立て」されている。ちょっと昔のプログレ的ともいえなくもないし、交響楽の第何楽章みたいな感じでもある。もちろんそれらは、粘りのある力強いビートによって支えられている。…前半のやや静かななにか物哀しいような空気に包まれるあたりの感じとかがほんとうに素晴らしい。というかこの異様に突き上げてくるような、何かにとりつかれているかのような、延々打ちならされるキック連打はものすごい中毒性があって一度はまると抜けにくい。。


しかしどの曲が今聴こえている全体のどこに位置するのか、元々がどういう曲なのか、そういった事はまるでわからない。映像で現れては消える曲名の文字表記がなければ、延々つづく超ハードコアなクリック・ミニマル系のサウンドにしか聴こえないだろう。しかし、ある種の「転調感」というか、ああ確かにここでアタマを併せて、せーの、でタイミングよくつないでるなぁという箇所は、確かに要所要所にある。でもそれぞれの音の粒が、すべて細かく刻まれた既成音楽素材たちの断片であるというのは、言葉で説明されなければわからないだろう。逆に、それを知っていると、表層が大変スムーズであることもあって、なにやら妙に薄気味悪い感触もなきにしもあらずだ。コラージュとかサンプリングとかカットアップという言葉ではもう意味内容に追いつけていない、おそろしく細かい単位でデジタル的に切り刻んだ死体を再度貼りあわせた、テクノ・フランケンシュタインともいうべき音楽である。あある意味大変、人を選ぶというか、取っ付きにくい感じの印象で、一筋縄ではいかない手ごわさもあるし、浅い満足に背を向け、そうそう簡単に良いとは言わせないような難解さ、退屈さをしっかりと含有してるところもすごく良い。