チェーホフ


チェーホフはモテるおっさんだったのだろうか?いや、モテる、というのともちょっと違うだろう。でも女性の細かなしぐさを一々、執拗に見ていた事はたしかだろう。食い入るように、みつめていた?それもまた少し違うか。たぶん、女性をただ単に呆然と見ていたに違いない。女を俺の妄想の中のこんな風に・・・みたいな狭い了見の話では全然なくて、ただひたすらなすすべなく、目の前のその相手のしぐさやふるまいやほんの少しだけ湧き立ち立ち上がるあるイメージだけを受け入れるだけで、単にそれだけだったはずだ。そうでなければ、絶対に、あのような描写はできない、と思われる描写のなんと多いことか。これは書いてる本人が、じかに目の前で、あなたが実際に経験したことでしょ?と言いたくなる部分の、何と多いことか。それが現実だったに違いないと思われる箇所ばかりで、あんな素朴で完結で単純な描きかたにも関わらず。


孤独なこころをかろうじて救う、目の前にいる相手のふるまいの、何と些細なことだろうか。それはほとんど、何のメッセージでもなく、意味も含まず、伝えようとする意志ですらなく、そういう事とはまったく無縁の、単なる人間の振る舞いなのだ。それは身体的なムーヴでしかなく、動物的な蠢動、と言っても過言ではないかもしれない。そんな身体レベルの動きでしかない。しかし、でもそれは、人間の感情を受け入れない完全な動物的なものというのがあるとしたら、そういうものとも決定的に違う、というのもまた確かなのだと思われる。なぜ?何が違うのか?意味の送り手と受け手が成立しなければ、それはもう動物?いやそれは違う。それはそんな単純な話ではないはず。意味の送り手だの受け手だの、そんな面倒くさい話の前に、恋愛の感情は行き来しているはずで、そのおどろくべき無防備な寄る辺無さが、チェーホフの書いた物の中にはある。


いや、いっぱいあるよ。今から一々全部引用しようかと思ったけどかなり面倒くさいのでやめました。チェーホフ。うつくしい小説。労働。恋愛感情。孤独、そういうことたちのお話。朗読してさしあげたいです。今ここで、読みながら考えたいと思う。