滑空


本屋の雑誌とかが平積みされている棚の一段高い場所にちょっと古ぼけたプラモデルなどの箱などが積み重ねてあって、一番上にラジコンのレーシングカーが飾ってある。全長50センチくらいのけっこうでかい模型である。どうにも古臭い型式の、たぶん80年代前半あたりのF1マシンをかたどったモデルで、チームはどこなのかよくわからない。こんな車は実在してなかったような気もするので、模型会社のデザインした架空の車かもしれない。手を伸ばして模型の下部に手を差し入れて持ち上げてみた。想像通りの重さ。全重量のほとんどが内部に搭載されたモーターと充電池とダイキャスト製部品の重さだろう。そして地面から離れると同時に車の車輪がシャーっという音と共に回り始めた。電源が入っていたのか。モーターが回って車輪を回転させる甲高い音が切れ目なく鳴り響いている。飾ってあったときは、何かに引っ掛かっていたのか、あるいは自重のせいで前進できずにいたのか。電源スイッチが見当たらないのであたりを見回すとたぶんその車のコントローラーが置いてあったので、それの電源をOFFにしたら車輪の回転も止まった。車の裏側はこげ茶色の厚紙で覆われていて手触りはざらざらしている。モーターの熱で手のひらは温かく、プラスティックやビニール素材が焼けたような変な匂いがする。この匂いは子供の頃から好きだった。乾電池が熱くなるまでモーターを回して匂いを嗅いだものだ。本物の自動車の排気ガスの匂いもいい匂いだと思っていた。昔はもっと近所の空き地や廃車置場などでガソリンの匂いとかがふつうに漂っていたものだが、最近は全然そんなにおいは嗅がなくなった。とりあえず元の位置にラジコンを戻して、脇で小学生くらいの子供たちが僕のことをずっと見ていて、子供じゃあ触りたくても身長が足りなくて届かないのだろう。かわいそうだけど面倒くさいので僕は無言でその場を離れようとして、すぐ脇に男の子がいるのでぶつかりそうになって、ちょっとごめんねーと言って体を斜めにして相手を除けながら歩きはじめた。商品は衣類や食料品や小さめの電気製品、あとは贈答品など、それぞれ大量に陳列されているが、どれも皆何年か前の品のように古ぼけて見える。埃もかぶっている。店全体が薄暗いし。店員もいるのかいないのか。やっぱりこういう公共の公民館のような場所で商売となると、どうしてもこうなってしまうよなあと思う。エスカレーターは上りだけで下りは階段だけだし。広くて薄暗い階段を降りていった。そしたら、向かいからO君がやってくるのが見えた。あまりにも久しぶりで、一瞬誰かわからなかった。いや、絶対にO君だと思って、おー!と言って声をかけたら、相手もこちらに気付いた。久しぶりじゃん、ね、ほんとに久しぶりだね。と言って、こんなところでどうしたの?と聞くと、今日は一日中、ずっと子供達のことを見てて、朝からずっと一緒にいたのに、さっきちょっと目を離した隙に子供達を見失ってしまったのだと言う。それで、ずっと探してるんだけど、どこにもいないのだと。O君はうわべは笑顔だったけれど、口元はひきつっていて顔色も蒼白だった。かなり焦っているようだ、当然だ。僕もただ事じゃないと思ったので、とにかく手分けして探そうよという事にした。とにかく探すしかない。子供の足でそう遠くまで行ける訳ないんだから、気合入れて探せばすぐ見つかるんじゃないかと思った。とにかくO君はこのあたり近辺を探しなよ、あと駅の西口と東口どちらも探しなよ、と言った。今ここにいるって事は、そのつもりだったんだろうから。じゃあ僕は、西口から中央通りをもっと下って行った先の川の方まで行ってみるから。そのあたりの広範囲を探してみるつもりだと告げた。じゃあ、とにかく後でまた落ち合おうということになって、二手に分かれた。O君はふらふらと頼りない感じでその場から離れると、すぐ駅前の公衆電話でどこかに電話をかけていた。なんだよ携帯も持ってないのかよと呆れたが、もしかすると色々あって失くしてしまったのかもしれない。金は持ってるのだろうか。でもまあ、後で聞こうと思い、僕は駅からずっと下っていく長い一本道を走って駆け下り始めた。西日が山の尾根の向こう側に沈みかけている。オレンジ色の太い光の腺が何本かに分かれてこちらへ向かって放射されている。駅前は完全に夜だったのだが、西口から少し下ればまだ夕陽の世界だった。僕は沈む夕陽に向かうようにして全力疾走した。おそろしく久しぶりの全力疾走。何年ぶりだろうか。フィットネスクラブをやめて以来かも。だとすればもう三年以上前。でも意外と快調に走っている。全身が躍動している。すごい。走れるものだと思う。そのままずっと速度を緩めず、そしたらあっという間に旧国道との交差点を通り過ぎてしまった。車でもないのに、こんなに早く旧国道のところにまで来たのは生まれて始めての事だ。しかも、呼吸も苦しくならないし四肢もまったく疲れない。全力疾走しているのに身体はまったく疲労しない。かなり不思議。どうかしてしまったのだろうか。また移動速度もとてつもないスピードになっているようだった。足元を見下ろすと、自分が左右交互に一蹴りする毎に後方に流れ去る地面がものすごい沢山の量になっていた。スピードが速すぎて道路の表面はまったく見えない。周囲の人も車も遥か後方に置き去りにしてしまって、僕だけが異常なスピードだった。とりあえず走り方を変えて、一蹴りを大きなストロークにした。丁度、三段跳びをするように、思い切り蹴って、その後の滞空時間を出来るだけ長くする。一蹴りですーっと身体が浮き、地面すれすれのところを数十メートルも滑空して、少し高度が下がってくるとまた反対の足でもう一蹴りする、さらにすーっと滑空する。驚くべき移動距離およびスピードである。進行方向を少し変えたり、前方の人やモノを除けるには、前屈みになって左右の手の指先どちらかを、かすかに地面にこすりつけるだけでよかった。砂煙とともに、ざーっと指先を削るような摩擦が起きて、そのままゆるやかに自分の進む方向がそちらの方向へと起動修正されるのだった。こうして僕は旧国道を越えてさらに国道247号線にぶつかるはずのおおむね真っ直ぐな道の上で滑空を続けながら、O君の上の子はいま幾つになったのだっけ?と思った。もう小学校の高学年か、ひょっとすると中学生にもなっているのかもしれない。だとすると、時間の経つのはなんて早いんだろう。こうして二年も三年も過ぎていくのは、どういうことなんだろう。四十歳だなんて、そんな年齢に実感なんてとても持てない。そう思いながら、でもこうして、とんでもないスピードで移動もできるっていうことも、昔だったら想像もできないような事だったのだし、その意味ではもはや、何もかもが想像の外の出来事としか言えないものだなとも思った。