靴磨き


靴磨きに靴を磨かせていた。靴磨きは地面に直接座り込んでいる。その前に置いてある小さな椅子に、僕が浅く腰掛けて、ぐっと上半身を突き出すようにして、靴磨きの靴を磨く様子を見下ろしている。ふんぞりかえって、大股開きで、片膝を突き出して、相手の目の前に片足を見せびらかすように、足台の上に靴を乗せて、靴磨きの女性が、その靴に顔を近づけて、両手を使って、ひたすら丁寧に磨いている。靴墨が全身に塗られているかのような、真っ黒に汚れた粗末な格好の、白髪の、老婆と呼んでも過言ではない年齢の女性である。僕は磨かれた靴の、光沢の度合いをじっと見下ろしている。自分の着ているスーツの沈んだ色に、よく手入れされた靴の皮の、底光りする感じが映えていて、心地よい満足感をおぼえて、ふーっとため息をつく。靴の上から老婆の手の、確かな力で何度も擦られて、撫でられている感触が伝わってきて、それが下半身を妙に弛緩させるようで、屁が出そうになるのを堪えている。出てしまっても、靴墨の匂いがきつくてバレないかもしれないが、一応我慢している。あたりをきょろきょろ見回して、空を見あげて、電線の黒い線を見て、あくびをして、ふいに手持ち無沙汰に思って、浮かれた気分の消えないうちに、どうなの、景気は最近は?と、目の下の老婆の頭に話しかけてみる。すると、まあ、良くも悪くもないけどね、と、顔も上げずに応えるので、へーそうなの、じゃあ儲かってんだ、と聞くと、儲かってないよ、でもまあ、良くも無いけど、悪くもないけどね、と応える。へー、そうなんだと云って、いや、そんなわけないだろ、でも実は、こんな仕事でも、じつは案外、儲かるものかな、と思って、なんとなく、あてが外れた気になる。べつに、困ってもいないのかな。じつは、思ったよりも、意外と俺よりも、カネを持ってるのかもしれないぞ、見た目じゃ、わかんないからな、そんな風にも思って、そしたら急に、なんとなく、気が塞いできた。自分の気分が、簡単に変わってしまって、あっという間に、さっきと違う気分になってしまうことを、自分は自分の特性として、よく知っている。まあ、とりあえず俺は、靴が光ってくれていれば、それでいいんだから、そう思って、曇った気持ちをなんとか立て直す。これから仕事だから、塞いだ気分でいると途中でもたなくなっちゃうのだ。せいぜい、いい気分でいないとダメだ。次に来たときも、この婆さんがいるなら、今日みたいに磨いてもらったとして、そのときも、やっぱり案外儲かってるって云われたら、どうしようかと思う。でも、それはそれでいいか。でも、何なら儲かるんだか、ほんとうに全然わからない。いつか儲かって、金持ちになれる日がくるのかなあと思う。