日曜日と、月曜日の夜は忘年会で、月曜日はやや同窓会的・初対面的な側面もあり、なかなか面白くて、それはともかくとりあえずその日のうちに帰ることができたので良かった。なかなか、遠い距離を、電車で、各駅停車で、えんえん乗り継いで行くのは、なんとも淋しく虚しくて、それこそワイン水筒でも持参しないことには耐えられない。来年からはそれだ。


ミハエル・シューマッハの快復を信じる。いや、なんというか、さすがに、このまま死んだりされると、流れとして、ちょっとあんまりかな?と思うので…。


紅白をはじめて録画。録画して十分遅れくらいで、ところどころ飛ばしながらみる。興味ない部分が多いけど、飛ばし過ぎるとすぐ現実時間に追い付いてしまう。それで、しょうがないので日本映画専門チャンネルに変えたら、「竜二」がやっていて、たぶん二十年ぶりにみた。いやいや、中学のときだから約三十年ぶりか。途中、山口百恵の「プレイバック Part2 」がフルで流れる箇所あたりからで、この曲をあらためてまざまざと聴いて、これは凄い曲だ。坊や、いったい、何を教わってきたの?みたいな、こういう歌詞をシャレでもいいから歌っていただきつつ、始終、ギターが忙しくて、裏でおそろしく軽薄なシンセ音が鳴り響いていて、とりあえず相当カッコいい曲で、。そして「竜二」は僕は、これは相当昔のときに、強い印象を与えられた映画であり、こういうのを見返すというのはおそろしいものだ。ほんとうに、こういう映画に、そのあとの自分が、無意識に規定されてしまったのではないかとさえ思える。もちろん僕が竜二だとかいいたい訳ではないけど、いやー。。でも、そういうことでもあるのかね。というか、中学生くらいで、こういうものを見てしまって、いくつかの細かいセリフまでおぼえているのはなんとも…。と思うが、やっぱり、あのモノの言い方、態度、なのだけれど、でも再見して、お話としては、大したことなくて、逆にその凡庸されにすくわれた。仮にもっと不可解に掴みづらかったら、もっと面白いと思ってしまったではないか。で、川島透の「チ・ン・ピ・ラ」と「TANTAN たぬき」を再度観たいかも。


そしてチャンネルを戻し、結局「あまちゃん」の箇所を三回くらいくりかえして見た。結局今年はこれだった。感極まるというか、どうにもこれは、なかなか堪えるものがある。「潮騒のメモリー」という曲の力が大きい。そして、個人的には全然いいと思えない曲だが、地元に帰ろう、のイントロの、あのグジャーっとしたギターの感じが、やっぱり良くて、ああ、まいったなあと思って何度も繰り返しみてしまう。


まだ「あまちゃん」が放送されてる頃、「潮騒のメモリー」の歌の「はげしくー」のところとかに、小泉今日子の案が生かされているという話をはじめて聞いたときは驚愕した。今年一番のおどろきかもしれない。小泉今日子は、自分(つまり80年代アイドル歌謡的なもの)のことを凄く冷静によく認識していて、だからこそあの箇所を、そのように歌おうとしたし、結局、今までの過去において我々が知っているあの小泉今日子を作り上げたのは、小泉今日子自身だったのだな、ということがよくわかる話だ。