マイ、ホン・サンス大会が続く。DVDで「ハハハ」を観る。


ホン・サンスばかり続けて観ていると、もう登場人物のことをばかだと思わなくなってくる。いや、ばかなのは間違いないのだが、慣れてしまうというのとも違うように思うのだが、映画の中のことが、たしかに存在していることのように思えてくる。存在している以上、ばかだとかなんとか、いつまでも思っていても仕方がないではないか。


女を最初に見るときの男目線の、まさにこういうものだという感じからスタートして、顔は普通だが、身体がいい。足がいい。すごく美人だ。というあらわれかたをする女たちがいて、彼女らとの出会いの段階で、最初は怪訝な顔をされ、作り笑いで適当にあしらわれ、ふいに去られ、しかしじょじょに親密な仲になり…といった過程で、観ていて僕は今回の作品においてもかなり驚かされてしまった。そうか、映画にはこういうのも映るのか。という驚きであった。


やはりムン・ソリという女優が演じた登場人物を、素晴らしいと言わずにはいられない。「顔は普通だが、足がいい。」その外見の、まさに絶妙な地味さと派手さの融合感。仕事で観光客にガイドしているときの、自説に対して異様にアツく固執する頑固さ、基本的に人の話に興味のない視野の狭さ、神経質な感じと、だらしなさ、かたくなさと無防備さ、それらの目まぐるしいといえばそうだが凡庸といえばこれほどの凡庸さも他にないような、人としての展開、あらわれかたの流れ。


この一連のお話自体に「あるある。こういうことってあるよね。」と思って観ている訳ではないし、ムン・ソリを観て「そう。こういう女っているよね。」と思って観ている訳でもない。「こんなやついねーよ。」と思う場合もあるかもしれないが、それはそれだ。いずれにせよ、そういう面白さに過ぎないのであれば、わざわざここに驚きをもって文章を書くことはない。そうじゃなくて、ちょっと違うのだ。


「教授と私、そして映画」のチョン・ユミもそうだが…「すごいリアルさ」と言ってしまうと、その言葉がそもそもまったくリアルではないし、全然説明できないのだが、とりあえず「リアル」と言ってしまいたいのは、そこに何か、あるひとつの切迫したのっぴきならぬ要素を射抜いているものがあるように思えるからだ。


たとえば「顔は普通だが、足がいい。」その外見から、ムン・ソリという女優が演じた登場人物は画面の中にとらえられ続けている。その女性の内面の説明でもなく外見を見る視線でもない、彼女を必死に口説くキム・サンギョンの視線でもないように思う。じつに説明しがたい不思議な場所にムン・ソリがいて動いている。そのような映画の登場人物を、それまであまり観たことがない。


これらの登場人物たちの行動や考え方に、何の驚きも面白味もないと言えば、そう言ってかまわない。「こういうやついるよね。」でも「こんなやついねーよ。」でもどっちでも良くて、要するにじつにありふれた人物たちだ。ただ、そのとらえる距離感というのか、対象の人物がどうこう言うよりまず、観ている自分の位置が常々意識されてくるというのか、そこで展開されていることに対して、当然ながら観ている自分が介入していないことの不思議さを感じるというのか…。


さらに、こういった恋愛も含む若い時代の時間の流れの記憶は誰でももっているだろうけど、その個々の過去に対しても、ああ、やはり自分自身がそれに介入できない、という思いが、重なってくるようなのだ。だから映画を観ていて、面白いシーンがあって、笑ったり感心したりして、ああ、そういうのってこうだよな、とか感じているときの自分の、おどろくべき孤絶感というか、過去の記憶からも映画からも切れた、まさにまばたきして見ている今この現実の情況を、あらためて発見し、そこにはじめて、誰か別の人間を認めるというのか。


映画というのは、そうやって観ている観客と、登場人物(あるいは言葉、町の風景、音…)とを、最初に出会わせる。その出会いで、おそらく一つ、何かが決まってしまう。あとはそれからをどう思って、どう過ごしたのかは観ているこちら側の問題になる。しかし、結局のところ介入はできずに、思い出すことしか出来ないというのは、とてもせつないことだ。時間は流れていって、失われるだけだ。


「ハハハ」を観終わって、今思い出しても、じつにどうでも良いことばかりが思い出される。それぞれの人物のことや、会話の内容、待ち合わせしていた海沿いの景色、最初に別れた路地裏のような場所。チョン・ユミの最初のときの服装。別れ話の相手の男をおんぶしてよろよろ歩いていくところ。最後にフグ料理屋に行くときのよそ行きの服装。これらのまったく無意味に近い記憶。


この映画は、男二人が酒を呑みながら語り合う、その声が物語を進めて行くので、色々あったな。まあいいや、飲もう。乾杯。乾杯。とか言いながら、各エピソードが綴られていって、それが最後も、楽しかった、楽しかった。飲もう。乾杯。乾杯。と言って、映画が終わるので、観終わった後は、まるで救いが来たみたいに、すばらしく幸福な思いにさせられる。