昨日の夜、ミケランジェロ・アントニオーニさすらいの二人」をDVDで観た。すごい説明不足な、ぶっきらぼうな、物語の展開、とも言えないほどの、持て余すどころではないくらいにゆったりとした、時間の流れ。そして移動。何であれ、旅行だな、ひたすら旅行しかないな、という感じ。冒頭の、北アフリカの砂漠。すばらしいな。砂漠、見たかったのだ。久々に見れて嬉しい。その後、ミュンヘン、ロンドン、バルセロナ、と移動するが、場所にもよるけど、かなり荒涼としている。ガウディ建築の建物はすごかったが。でも待ち合わせ場所の工事資材置き場みたいな場所とか、車から見える風景とか、モーテルのある場所とか、ほとんど砂漠と変わらないような殺風景。服装も車も埃っぽくて、汚れて煤けたような、マリア・シュナイダーの若さと手足の長さだけが。って、もしやと思ったがやはりあのラストタンゴインパリの娘か。まあ、すごくだらっとしていて、観ているだけで、とりあえずこれ、すごく良かった。特典でジャック・ニコルソンの音声解説が収録されているので、近いうちに再見したい。


テレビでやっていたNHKの"日本人は何をめざしてきたのか・・・第7回"「三島由紀夫」をみた。1969年に全共闘の学生たちと三島が討論する音声が紹介されていたのを聞いたが、ああいうのを聴くと、ああ、いつの時代でも学生って、やっぱりばかなんだなと思う。全共闘ってどう贔屓目に見ても、ほんとうにばかみたいにしか思えないけど、でも仕方がない、というか、全共闘に限らず、すべての若い年代とは、そういうことなのだな。でも自分なんか、みっともないこととか無様なこととか、正解ではないということに極度のおそれを抱いているようなタイプだったと自覚するけど、それでもやっぱり正解や洗練された結果を手にしたことなんか無かったからな、と昔を思い出して泣けてくるような感じ。


で、それと較べて三島は立派だなどと言う気はないが、それでも、如何にもな、あの口調で、最初からわかってることを律儀に正確に話して、適度の冗談も交えながら大体想像のつくような結論に持って行かせるような語りのやり口というか、投げやりでもないけど熱心でもない、まさに仕事というか、ある意味これほど「大人」的な諦念を感じさせる声も無いな、と思わせる。というか、単に、若者とおじさんの噛み合わない話。というだけか。どうもそういうことなのかもしれない。なんとも、やれやれであるな。


今朝起きたら、風邪はけっこう快復した感じ。素晴らしい。有給とって、せっかく三連休したのに、風邪でずっと寝ていて、最終日の今日ようやく快復。この無意味さ。じつに爽快である。


早めに買い物に出たら、快晴だが相変わらず風邪は強く寒さが厳しい。ぐっと寒さに耐えつつ近くの図書館に行ったら、いつものことだが館内の暖房が異様に暑くて、入っていきなり汗が出てきて、まだ体温調整が上手く出来ない感じで、うわ駄目だここに居たら死ぬと思ってすぐに退出する。食材を買って帰る。


"日本人は何をめざし・・・"「手塚治虫」もみた。今更だけど、手塚治虫って、最初期の頃からほんとうに絵が上手かったんだなと思う。ここでの「上手い」というのも、もちろん絶対評価基準など無いことは前提で言ってるつもりではあるが、それでもやはり、どう見てもうまい。というか、描かれた何かが、ひとつのイメージでありながら、同時にあらゆる新規ルールをまとった発明品、という感じがある。今まで誰も見た事が無いような新しいものなのに、直感的に使い方や操作方法がわかってしまうので、誰でも子供でもすぐにあそび始めることができるような。