「KISS」


プリンスの「KISS」をはじめて聴いたのは、たしか中学一年か二年のとき。楽曲に批評性みたいなものを感じ取った、生まれてはじめての体験だったような気がする。もちろん、批評性なんていう言葉は当時知らない。もっと感覚的な、存在することで自他の境というか、対外的なものの輪郭をいやがおうにもはっきりとさせてしまう力を持っているというか、黙っているだけなのに、存在自体ですべてと敵対しているというか…まあ、上手く言えないというか、ありふれた言い方しか出てこないが、要するに、研ぎ澄まされている、という感じのことだ。そういうのを、茫洋とはしているけれども大きな衝撃として、感じとったように思う。その音楽に驚くのと「音楽」がそのようにあり得ることに驚くことが、身のうちで二つに重なるのだが、当時はまだそれを、快楽とさえ思わなかったのかもしれない。


下の文章に出てくるこのデヴィッド・Zっていう人、すげー!と思ったが、最終的に「全部とっぱらってしまった」プリンスが、やっぱりすごいのだな…。

いつ聴いてもフレッシュな新感覚に満ちたこのアレンジは、プリンスの手によるものではない。ザ・レヴォリューションのドラマー、ボビー・Zの実兄である、デヴィッド・Zによるもの。デヴィッドは、今もテレビCMやクイズ番組などでお茶の間に登場することも多い名曲<ファンキー・タウン>を世界的なヒット・シングルにしたミネアポリスのグループ「リップス・インク」のプロデューサー兼エンジニア兼ミキサーでもある。彼は、1989年に全米ナンバーワンになったファイン・ヤング・カーニヴァルズの<シー・ドライヴズ・ミー・クレイジー>でも刺激的なスネア・サウンドを構築している才人だ。

は、本来ザ・レヴォリューションのベーシスト、ブラウンマークがプロデュースするペイズリー・パーク・レーベル所属バンド「マザラティ」の為にプリンスが作った小曲だった。しかし、デヴィッド・Zによる大胆なアレンジにヒントを得たプリンスが、自らの楽曲として最終的にまとめることを決めたという。

デヴィッド・Zは回想する。

「このトラックをマザラティのメンバー数人と一緒に作った。そしたら、翌日になってプリンスがリード・ギターと声をそこに入れたんだ。最初はベースのパートとスネア・ドラムの音と手拍子とアコースティック・ギターがあったんだが、プリンスが全部とっぱらってしまった。『必要ないよ』ってね」


西寺郷太「プリンス論」126〜127ページ