ルーティン


行きたくないが仕方がないので都議会議員選挙の投票所に行った。


湯島で下りた。しのばずの池は蓮がピークを迎えている。この池の蓮って、ぜんぜん華やかでも何でもなくて、ただ濃厚な、鬱蒼とした、暗い湿り気のなかの生き物の生臭さ、みたいな、毎年そんな風に感じる。ぽつん、ぽつんと咲いてる花も、キレイというより、突然そこに子供の頭部があるみたいな、その表面をピンクのペンキでケバケバしく塗られてるみたいな、何か妙な禍々しさ、気味の悪さの方を強く感じる。まあ、如何にも夏らしいというか、温暖湿潤地域の夏の暗いむさくるしさを体現しているようだと思う。


バベルの塔目当ての客が行列してる東京都美術館で、第6回 都美セレクショングループ展「エピクロスの空き地」展を観る。かなり色々な種類・傾向の作品たちが、それぞれの領域や境界にあまり頓着しないような感じで集まり合っているといった印象。しかし、雑然としているわでではなく、混沌としているわけでもなく、ただ、ゆるく入り混じっている、というか、結ばれようとしている、というか、結ばれる手前の状態で、そのまま置いてあるというか、そんな、いい意味でのスカスカな風通しのよさが会場内に吹いているようだった。


ひとしきり会場を見て、またおもてに出て、暑かった。これから店に行って何か飲むか、何でもどこでもいいけど、でも、飲んでもかえって喉が乾いて疲れて汗も出るだろうし、ただでさえ、蒸してかったるいのにね、今日はもう、まっすぐ帰ってもいいかもね、という事になって、根津の方向へ歩いて、そのまま千代田線で帰宅。


ビールはいつ飲んでも、やっぱりビールだ。冷えたビール。その、グラスに注いだ液体を口に運ぶときの。それはもうこれ以上考えられないくらいの、それこそ富士山とか金閣寺の写真みたいな、マンネリズムの極北、ありきたりの極致、なのだが、しかしそれでも、もうはっきりとわかっていても、結局何度でもそれだけの場所に戻ってくる。おそろしい。毎週週末の、夏の、夕方の、この部屋の、薄曇りの空の、今まで何万回も見て来たこの「いま」の感じ。合わせ鏡を覗いたように、この「いま」が無限に、いま存在している。「このビールの美味さ」もだ。百万回くらい日曜日の夕方を繰り返して、今後も消失点まで続いているこれを一個一個、律儀に潰していく。来週も再来週も同じだ。きっと、いつか一度くらいは、僕も壁の向こうを通り抜けることもあるだろうか。