後半を少し過ぎたあたりで


九十分の映画だとして、それが一時間を少し過ぎたくらいで、観ているもののテンションがふと緩んで、諸々がほどけはじめるようなときがないだろうか。そのとき観ているものが、今までの継続的な何かから少し外れた、そこだけ浮き上がって勝手な動きをしているような、不思議なものを見ている気にさせられることがないか。


音楽でも、少し長尺な曲の展開の後半に差し掛かったとき、ふと、音自体が展開の一部であることをやめて、勝手に動き回って落下していくような、そういうものが聴こえてくる瞬間がないか。


あるいは、一時間なら一時間、連続でランダム再生される音楽を聴いているとしよう。そのとき、だいたい三十五分から四十分過ぎたあたりで、ふいに再生された曲が、これまでの機器内でのランダム選択によって指示されたのではなく、何か、別の力で、いや、力ではなく、むしろ力の加わりが一瞬解けたことによって、ふいにその場にこぼれたかのようにあらわれて、何とも場にそぐわない唐突さで、しかし唐突さの違和感を醸し出せるほどの強さもなく、じつにささやかに、耳の傍でその場の時間と共にそれが聴こえているようなことがないか。


というか、まあ今朝、電車の中で、そんな感じだったのだが。


「造成居住区の午後」を読んでいた。これらが、「造成居住区の午後」との類似である、と言いたいわけではない。上述のこれらには「男であることの恥ずかしさ」とか、関係ないように思う。あと、これらに共通するのが、あらかじめ与えられた時間的な区切りの中によって、その区切りがあることによって発生する一瞬だということだ。たしかに「午後」も一日という区切られた時間の中に発生するひとときではあるが。あるいは「造成居住区の午後」を、つまり「男」が平日の昼間から家の近くをうろついていられるのは、会社員であれば、たとえばふいに消化の必要が生じた有給休暇のある日、という区切られた時間の中に生じるひとときだったりもするだろうが。



でも、「時間の区切り」というのも、簡単に言うけど、なかなか…。ベルクソンなあ。何度読んでもわからないのだが、何度でも気になってしまう。