老朽


「AI時代に日本人が世界の少数派になるということ」
https://wirelesswire.jp/2017/09/61522/


今後の日本。いいこと一個もないというか、悪い予感しかしないというか。手持ちのカードは悪い手ばかり、という感じか。


まあ別に、リンク先の話と関係ないと言えばないが、ぼやっとした想像のレベルで、このまま、ずっとこのままかな、という感じがする。このままなら、いいじゃないか、充分じゃないか、とも言えるが、たぶんそうじゃない。このままだというのは、少しずつ悪くなっていくということと、なぜか同じなのだ。ほんとうにこのままがよければ、少しずつ良くなっていくしかない。しかしそれが、相当難しくなってきた。ただなんとなくの予感だけれども。別にAIがどうのこうの、という話に限ったことではなく。


いつのまにか、物事は変わっていく、というか古びていく。最近そのことを、まざまざと実感している。現状維持をがんばっているだけでは、避けようも無く古びて、なすすべがなくなる。


古びても良いのだ、むしろそこに何かの価値があるのだ、と言うにはそれだけの、それまでにはなかった認識の発見が必要だ。古びても良いという考えが成立するとしたら、それは古びていくことの無条件肯定ではなくて、ある新規活動によって作り出された成果である。


古びていくこと。リアルなそれに対して、人がほんとうに耐えられるかは微妙だ。滅びとか枯れるとか、そういった従来の美学的・文学的なこととはまるで違う、もっと庶務雑事的な、いやもっと切羽詰った、自分の足場の問題で、老人問題であり、被災者の問題だ。


古びるのも怖いし、新しさも恐れる。人はなぜ、新しさを怖がるのでしょうか。古いも新しいも、どちらも怖いのだ。何しろ、とにかく、怖い怖い。


こんな今こそ、まるで気楽に、まったく暢気に、次の日を迎えたいものです。