法要


名古屋へ向かう新幹線の窓から見える富士山。真っ青な空、午前中の光を受けて浮かび上がる白いあのかたち、小田原あたりからの存在感だけでも相当すごいけれども、富士見市くらいまで来ると、やはりこれは、なかなかすげえという思いを否定できない。天気が良いからなおさらすごい。ちょっと宇宙っぽいというか、成層圏の上の方の出来事っぽい。我々人間のいる地表があって、そのうえに空があって、それがふわーっと雲に覆われてところどころ消えていき、しばらくしてまた上から透明になっていって、その上にかっちりとしたエッジの純白の山のかたちが浮かび上がっている。まさに、中空に浮いているような感じがする。地上から数百キロ上空に浮かんで静止している白い大皿のような。それこそ横山大観みたいな日本の近代の大御所的画家が富士山の絵ばかり描くというのも、こういうのを見ると、たしかにそれはそれで、描きつづけたくなる気持ちもわかるというか、なかなかものすごいものだなと思う。というか横山大観のどこまでもサラサラとした抵抗のないほとんど消え入ってしまいたいと思ってるかのような神経所的潔癖感すら感じさせるようなあの絵の感じ、キワだけで出来ているかのような、部分の冴えだけに集中しあえて全体に意識を行き渡らせる態度をあえて拒むかのような、手を切るほど鋭いエッジの研ぎ澄まされ方だけを誇るかのような、その感じは今、目の前に見えているこの富士山の感じとたしかに共鳴し合うものはあるかもしれない。これ、ただの宇宙だし、イメージって宗教だし、みたいな、明治初期の日本画の人達の「あの感じ」の基盤となったイメージを今見ているのかも、とか、いい加減なことを考える。


名古屋から鵜方方面へ、渡る木曽三川(木曽川長良川揖斐川)、あと宮川、五十鈴川、他にもあるかもしれないが、この川幅すごいなと思ったのは、たしか宮川だっただろうか。地図で見ると揖斐川がダントツで川幅ありそうに見えるが。あと桜がやたらと、こんな時期に近鉄特急に乗るのははじめてで、どこもかしこも桜の色に染まっている。山の三分の一くらい、桜の色に染め分けられているような景色が何度も出てくる。東京から約一時間半、名古屋から約二時間だが、この時間はいつもそうだが、何をするにも中途半端というか、本を読むでもなくボケッとするでもなく、ただ何となく過ごしてしまうのだが、よく考えると移動時間がそうだから、というよりも、結局電車に乗ってると、その中にいるというのは、結局は自分が今、高速で移動しているのだという自覚も捨てない限りは、なんとなくぼんやりするしかなくて、むしろそんな手持ち無沙汰感の方が自然かもしれないとも思う。というか、この感じこそが移動中ならではの特別な時間の流れ方だろうか。僕は昔から、つまり小学生の頃から一人が嫌いな人間ではなくて、たとえば新幹線や近鉄特急なども一人で乗り込むことを厭わなかったらしい。名古屋で新幹線の改札口から近鉄乗り場へ向かうのは、切符の取り扱いなどやや面倒くさいのだが、そのあたりも含めて一人で移動したがった、たぶん一度か二度は一人で移動したような記憶がある。あのときも座席で自分が何をしていたのか、まったくおぼえていないが、たぶんやはり今と同じように、ただじっとしたまま、その宙吊り時間の感触を感じ続けていたのではないか。


鵜方駅に着く、車で来た母および妹夫婦+姪と合流する。三時に寺着、四十九日法要を家族のみで。この日を、この地で、しかも父とは離婚した母までが参加のかたちでこうして迎えることになるとは、葬儀がおわった時点では想像もしていなかったのだが。母が父の故郷に来たのは、三十年とかそれ以上ぶりのことだ。これ以上ないほど長い別居生活と離婚を経て、相手が死んだらなぜか法事諸々に勤しみたくなるのだから実に奇妙というか、わが母親とはいえ、人が人に何を思い何をしなければと感じるのか、まるでわからないというか、あまり深く理解しようという気もないというところもあり、まあ気の済むまでやってくださいという感じなのだが、しかし色々な思いを積み重ねてきた母としては、寺の住職とも話して、親戚の幾人かの人とも再会して、思わず腕を取り合って、まあ!Kさん!ご無沙汰じゃない元気?元気よ、会えて嬉しい会えるなんて信じられやんわーと、今日だけで幾人かの人物と再会して話も出来て、この先遺骨を納めていくための見通しをぼやっと立てることが出来たということで、ある意味、あなたにとって記念すべき日だろうし忘れがたい日になるのだろうと、それがある区切りというかけじめと考えているのか、最後は私が、という事なのか…まあ、でも、やはり父親は、あらためて思うに、やはり問題があって、人として色々と、まあ、どうしようもなかったのだとはあらためて思うので、小さな声で言うけど、やっぱりあなたが死んでくれて、全体的にはそれで、良くなったと思う、そう言える部分もあるよ…。なにしろこれ以上は何も起きないのだから。お父さんお母さん、まったくあなたたちの四十余年とは、いったい何だったのか、あらためて考えさせられますね。