譲渡


朝食の前に、ホテル周辺を少しだけ散歩する。小高い山の見晴台のような場所から海を見下ろすのだが、この景色が、もし写真で見たら如何にも絵葉書的に見えるだろうと思うような、リアス式海岸に囲まれた湾内を養殖や漁船が行きかう様子が見えるのだが、実際に肉眼で見るときその距離における空気と海に挟まれた半透明の奥行きの不思議さと言ったら、それを言葉では容易に表現できない。


それにしてもこうして開発して山を切り開いてホテルを建てて自然と親しめてリラックスできますリゾートですというのも、まさに近代的所業と思う。散歩道を歩くと、それは単なる山の奥で普通ならこんな場所を一般の人は絶対に入っていかない、もちろん遊歩道的な足場を歩いているのだけど、元々は何の足がかりもない只の山だった場所をこうして歩いているというのがわかる。どこかから切り取ってその場に貼り付けられた自然、一時期の僕が、川とか水の流れている傍のレストランが好きで、というかそういうレストランがこの世に存在しないものか、座ってる座席の足元をすぐに水が流れてるみたいな、そういう店を躍起になって探したというのも、結局はそういう切り取られた感じが好きだからなのか、そんな気もする。


車で父親宅へ。すでに電気ガス水道は止まっていて、快晴の日中だが部屋の中は暗くて中のものがよく見えないので、仕方なく懐中電灯を何本も持って作業する。作業って、いったい何しに来たのかというと結局母主導の、あれは中国で買った蝋燭立てだとかあれはオランダの皿だとか、それもこれも見ろ確認しろと、それで悪くないものは持ち去ろうという、ほとんど火事場泥棒的な活動に勤しむ会になった。それにしても、何十年ぶりかに来たくせに、どれは昔埼玉の家にあったとかあれは何だとか、この人はびっくるするくらいよく知っている、そのくせ、実際この家にはほとんどろくなものは無いのだあの人が価値のあるものを持っているはずがないのだとも断言する、まあたしかに色々と掘り起こしてもどれもこれも大したことなさそうとも思えて、少なくとも持ち主本人が心からそれを気に入っていたようには思えないものが多く、自分から見ても「持ってかえってもいいけど置いていってもどっちでもいいな」と思うものが大半という感じだ、器や掛け軸の類は一部を除けば美術骨董品のレベルではなくて古道具屋レベルに近い、とまで言うと言い過ぎだがそんな印象だ。僕の場合、酒器としてイケそうなものはわりと積極的にピックアップしたがそれでもかなり控え目な成果とした。


しかし絵は、本人が制作してきて膨大に積み重なっている大作から小品からスケッチブックの素描に至るまで、これらは良いか悪いか、評価できるか否か、みたいな話とはやはり根本的にべつの感覚で接するしか無いのだ。いや正直、見る前はただの面倒で厄介な粗大集積物でしかないのだが、絵を見て、さらに次の絵を見て、それをやっていると、いやそれどころか、積み重なっているキャンバスの木枠の厚みを見ているだけで、結局僕はこのおびただしい数の絵を一度はかならず目で観て確認しなければいけないのではないかと思って、途方も無い徒労感というか絶望感が沸いてくる。結局これらを「読む」のは、僕しかいないのだという事実を思い知らされる、でも一度読んだら、もうそれでいいとも思う。なにしろいつになるかわからないが、これらを本気で読みに再びここを訪れて、それで全部見たら、それこそもう捨ててしまうなり何なり、また考えないといけないのだろう。今日だって先ほどからの発掘作業がすでに埃で鼻と目をぐずぐずにしてくれていて、次やるなら冬と夏は無理だし、秋か来年の春先かなあなどと、鼻を何度もかんでなかば呆然とした意識で考えていた。


あと、忌まわしき、むかつくような腹の立つような領収書とか請求書の類も併せて戸棚から引っ張り出された。くそ、やっぱりあったのか、はーっ…とため息が出るような思い。でもしょうがない、状況によっては法律相談とかしたら何か打開策あるかもとか一縷の望みを信じてたがそれも厳しそう、しかし腹立たしい、平然とした顔しやがってよくもまあ抜け抜けとここまで落ちぶれやがったものだ、などと言うと心優しい人から注意を受けそうなのでやめておきますけど。


チェックアウト後、車で鳥羽へ移動、電車の時間まで三十分ばかり有名らしいホテルのラウンジにいた。このベランダ、すげえ…。ここで過ごすとか、ほんとうに超リゾートとだな、というかこのソファーから見るこの景色も我ながらイラつくほどにありえない景色と自らの身体との関係だな、と思った。