Archie shepp 「Live At Donaueschingen Music Festival」



今は2006年。日本の敗戦が1945年だから、61年前だ。コルトレーンビレッジバンガードアゲイン!が出たのが、1966年・・・。今から40年前。翌年にコルトレーン死去。その3ヵ月後に、アーチー・シェップの「ワン・フォー・ザ・トレーン」吹き込み。このアルバムは、コルトレーンの死の直後に、追悼の意をこめて一番弟子のアーチーシェップがドイツのドナウエッシンゲンのフェスティバルにおいて演奏した実況録音盤である。レコードの発売も多分、同年。今から39年前。僕が生まれたのは、1971年です。今から35年前。


このアルバムは1993年に初CD化されて、僕が初めて聴いたのもその年くらいか。今から13年前。当時で既に発売から26年が経過していた。…アルバムは「ワン・フォー・ザ・トレーン」パート1とパート2の2曲収録。どちらも20分前後の即興演奏。シェップはテナー。ほかにトロンボーン2管とベース、ドラム。


で、このアルバムにおいて大変有名な箇所だが、パート2の、白熱したフリー演奏の後半、それまでの混沌とした音空間が嘘であったかのように、突如として「いそしぎ」が演奏される。演奏の激烈さを切り裂くように、突然、とても感傷的な、癒されるような、柔らかで切ない数分間が生じる。


このアルバムが発売された当時、「いそしぎ」挿入について、リスナーの間で様々な議論が交わされたらしい。勿論、師匠コルトレーンへの哀悼の意を、感傷的な思いで現したのかもしれないが、それまでのステージでは、黒人同胞への意識高揚メッセージや詩の朗読等、黒人問題に纏わる活動を様々なアプローチで展開し、劇作までこなすマルチ活動家としての側面も持っていたシェップだからこそ、観る側による「いそしぎ」解釈も多岐に渡ったらしいが、やはり、政治的文脈からの解釈が、細かくバリエーションを広げていくような状況ではあったのだろう。・・・で、なんというか、目の前のものを、ただ見るとか、聴こえてくる音楽を、ただ聴く。という事の、とてつもない難しさを感じる。。


60年代は60年代の、のっぴきならない状況があったはずで、その瞬間、皆が、それぞれ必死なはずで、そのはずなのに、今こうして高いトコロから過去を振り返ると、これほどまでに、滑稽に見えてしまうことが、悲しいし、恐ろしい事だと思う。


発売から、26年後の1993年に、僕がこれを聴いてどう思ったか?…については、正直忘れた。で、今日、(多分)10年以上ぶりに聴きかえした。感想…なんか変わった音楽だった。(笑)。


・・・というか(笑)…まあ正直に言うと、実は、なかなか良かった。「いそしぎ」云々ではなく、始まりから最後まで、非常にファンキーで、イカシていて、カッコいいものだった。…さて、そんな楽しみ方自体も、今の状況から逃れてる訳では全くないのだが…。でも、今日久々に聴いて、僕の記憶の中の「ワン・フォー・ザ・トレーン」が、かなりクールなイケてる音楽として、見事復活して、記憶が刷新された。