「噂の女」(恵比寿ガーデンシネマ)


妻が観ようというので観に行った。そしたらなんだか凄い映画で、完膚なきまでに打ちのめされた。僕のような者が、映画について(しかも溝口健二について)何か感想を書くなんて、身の程知らずの恐れを感じないわけにはいかないが、あまりに良かったのでまあいつもの通りいけしゃあしゃあかつこっそり書くが、美術でも、映画でも、なんでもある程度そうだが、良いものを体験している瞬間というのは、今何が起きてるのか全く論理的にはわからず、それが終って、別の場所に移ってから「さっきは、とてつもなくすごいものを観たのかも!?」と思ったりするものだと思う。


「噂の女」に関して言うと(良い映画は大抵そうだが)、撮影されてる空間(フレーム)のなかで、人物たちがなにかしらの動きをおこし、言葉を発し、また何らかの動きを起こし、やがてそのシーンが終って次のシーンに切り替わる。という一連の流れを、只ぼーっと観ていて、次のシーンに切り替わった瞬間、心の中で「うおー今のはすごかった!!」と喜ぶ…という、それを映画が終るまでひたすら繰り返す…という状態になってしまい、とにかく驚くべきイメージの連続に喜んでるだけという状態であった。あの、画面内での、田中絹代の複雑かつ優雅な動作といったら、もう言葉を失うしかないって感じだし、薄雲太夫の看病をしてあげてる久我美子と、それを周りから覗き込んでる太夫たちの奇跡のような白い顔の点在などどうして良いかわからなくなる位だったし…あと、舞台となる井筒屋屋内の、近景で起きてる事と遠景で起きてる事が、かならず丸ごと捉えられているところとか、かなり高い位置から見下ろすような視点とか、酔っ払いが入店してくる瞬間の、がーっと画面内の全てが動き出してすごいワクワクする感じとか、ゆっくりと横に移動していく太夫のしぐさだとか…とにかくすべてのシーンごとに、ものすごい神業のような豊かさと奥深さが横溢していてびびった。。


…まあ、細かい事をいちいち、くどくど書いて、すごかったとか書くしかできないので、こうして書いても、意味がないのだが…。というかしかし、くどいようだが、ここで「すごい」と言ってるのは、一旦終って、視界から消え去ったものを思い出して「あれはすごかった!」と感じている。という事であり、どう頑張っても、そのようにしか、映画はすごくないのだという事に、気付かされる。だから、結局は、何度でも観ないとわからないのだろうと思う。僕も「噂の女」で起きてる出来事の全てが、一度の鑑賞で把握できるなんて、まったく思えない。だからまたいつか観たいです。