作品写真の電子画像


作品写真の電子画像を10点ほどフォトライフにアップロードしてみた。まあこれを見て下さっている皆さんのご利用環境や画面解像度やモニタのスペックなんかで、様々に違って見えるでしょうからあくまでも参考に過ぎないのですが、これらの写真は現実のものよりもやや鮮やかで、彩度も高めに感じます。…まあ大体、こんな感じですので、まあ「ある種の判断」にお役立てください。実物だとまた違って見えると思いますので、そのあたりも含めどうぞ!


具象絵画を描いているのだと普段から意識して絵を描いている訳ではないのだが、それでも僕の絵は「○○が描かれた絵だ」と思わせる。あるいは「これは具象だ」と思わせる。で、具象絵画は「これはイリュージョンだから、これが本当は物質であることを忘れて観て下さい。イメージを楽しんで下さい」と言ってるように受け取られる側面が強いかもしれない。でもまあ、それでもいいし、そうでなくてもいい。僕は元々さほどデッサン的巧みさを持たないので、そういう技巧的なのを観たい方はツマラナイだろうけど。


描いてる本人としては、描いてるものに自分が絡め取られないよう、なるべく気を散らして描いている積もりだが、これら全体を通じて、結果的に何かが現れるのかそうでもないのかは、わからない。何だかんだ言っても多分、僕自身がクリシェに落ちているだけであれば、これはもう駄目である。僕は多分、元々クリシェから出発して、それを突き抜けないといけないようなスタイルなのかもしれないので、だから失敗した場合はあっと言う間に(0.2秒くらい)すごい凡庸な何かに包まれた何かがあるだけの感じかも?とかぼんやり認識したりする。まあこれも、思い煩っても仕方がない。終わった事はもはやどうでもいい。


まあ、それはともかく、例えば線描を見てどれほど素晴らしい絵画的な愉悦の中にいても、それが只の線であるという事は変わらない。具象絵画とか抽象絵画とか、そういうのに限らず美術作品は「これが本当は物質であることを忘れて、今ここに現前するイメージを存分に楽しめ」というような、イリュージョン的なものを提供する事物なのか?と言ったら、そうでもないと思う。ただ、…というか物質である事が信じられないくらいすごいイリュージョンに触れる喜びというのは、これだって、とてつもないものなのであるから、別にそれを徹底して目指したって構わないので、僕なんかは結果的にそれでいいじゃん。なんでわざわざ余計な事しないと駄目なの?なんて思うこともある。ものをちゃんと描こうとするのは、男ひとりが一生賭けてやるに値する仕事である。というか、努力の順番として、まず物質である事が信じられないくらいの描きで、すごいイリュージョンを目指すぜ!っていうのが自然であると言いたいくらいだ。ほいで、そういう基礎的単線的な一方通行で反復的な努力の行き着く先で、なんだか「全て台無し」な、絵を描く事自体があられもなく暴かれてしまってるような、そういう、質だのなんだの言えないような世界が開けることがあるとしたら、それは結構、素敵なのではないか?そういう訪れがいつかあるといいなと思っている。