カラヴァッジオ


カラヴァッジオの絵で、イエスの復活を信じないペテロに、イエスが「そんなに信じられないなら僕の傷口を手で触ってみなよ」という場面を描いたヤツがあるけど、その絵では、ペテロは手首を無理矢理イエスに取られて、胸元のあたりまで導かれて、そのまま横腹に槍をぐさっと突き刺された筈の傷跡の、ぱっくりあいた口の奥へ、4本の指先全部(確認したら人差し指だけだった。4本全部入れてるように間違って記憶していた。。)、第一関節あたりまで挿入させられている。しっかり確認しろと言わんばかりの力強さで。で、ペテロは「…え?」っていう顔をしている。なんか、少年マンガで、憧れの女性に大胆な振る舞いをされた主人公というか、今時それはないだろ普通。というか、普通描く??えー!普通、そんなあざとくこれ見よがしな事して、観る人をびっくりさせようとかする?とか言いたくなる感じがしないでもない。


イサクの犠牲を描いた絵なんかも、アブラハムが息子を殺そうとして首根っこを抑え付けて、黒光りするかなり切れなそうな痛そうな感じのナイフを構えているところに、天使にやめれと言われてるのだが、このイサクを抑え付けている手は天使がアブラハムを制止させる手と呼応したりしているのだが、そんな事なんかよりも格段の強度で観るものに強く飛び込んでくる印象としては、もう、とてつもない残酷で冷徹な、抗ったり泣き落とししたり媚を売って機嫌を取り成したりなど到底できそうもない、すさまじい腕力の抑え付けの力そのものであり、嫌がるイサクは全体重をかけてのしかかられ、首の動きを腕一本で完全に抑えられ、それでも抵抗して、あらん限りの力で叫ぼうとして振り返り、少しでも父の顔を見ようとするその動きすら、頬に掛かる父親の親指一本の力だけで、完膚なきまでにねじ伏せられている。(この頬にあたる親指一本の描写が素晴らしすぎる)ここに現れているものはイサクの犠牲だの信仰の篤さだのといった以前に、大人の男が本気で力を出している事の恐ろしさとでもいったようなものであり、しかしどうしても滲んでしまう、なすすべなく陵辱されてしまう事への甘美な懊悩と恍惚の予感でもある。


カラヴァッジオの場合、絵を描くとき明らかに、聖書という題材は描き出すほんの取っ掛かりというか、きっかけにしかしていないような感じがあからさまで、それを隠そうともしていない。むしろ積極的に(場合によっては作品の質を低下させてしまう事すら厭わず)何らかの主張を試みているようにすら感じる。更に意味のわからない変な例えだが、庇を借りて母屋を乗っ取る。というか、非常に図々しいというか、そこまで平然と、表面的にだけルールを守って、あとはやりたい放題にするというか、そういう態度の面白さが、絵の周囲に漂ってるところがある。