「バラの耳」三木富雄


絵を描くとき、誰でも面白いものを描くぞ!と思って描くのだろうと思う。絶対に面白くないようにしてやる!という情熱はあり得ない。というか、そういうときは面白くないことの面白さに賭けているのだろうと思われる。(「さほど面白くない感じにしてやる!」という事自体が目指される事はありか?あるいは、「オレが面白いと思うようなものは絶対面白くない事を踏まえて作るぜ!」とか…。)


…それはともかく、たとえば絵が描き始められてから完成するまでの過程が10段階あったとしよう。便宜的に。そしたら、1.2.と描き進んでいって、その度ごとに「OK!」フラグが立っていくとする。で、10のところで「コンプリート!」フラグが立って完成って事で・・・というか「コンプリート!」フラグが立った場所が、結果的に10段階の10のところな訳だ。それはまあ、いいや。でももうちょっと(無駄かもしれないけど)考えてみると、とりあえずの段階ごとにたつ「OK!」フラグと、最後に立つ「コンプリート!」フラグとの関係ってどうなんだろう?と思う。「OK!」フラグを10個集めると、「コンプリート!」フラグ1個と交換してくれるみたいな。あるいは「OK!」フラグが11個あるけど「コンプリート!」フラグは立たないとか・・・。もういきなり何もない状態で真っ暗闇の暗中模索で、唐突に「コンプリート!」となって、事後的に「OK!」フラグがぞろぞろと連なって(思い出すようなかたちで)あらわれるようなものか?とか。


っていうか、これは保坂和志言うところの「2400メートルの競馬で、逃げ馬が2300メートルまで先頭を走っていても、最後に後から来た馬に差されてしまえば、逃げた馬を「2400分の2300は勝っていた」とは言わない。」というのの言い換えに過ぎないのか?・・・っていうか、ぼくがもともと言いたかった事はちょっと別のことであった。うー…なんと言えばよいのだろう。…


じつは頭の中にぼやっとあったのは、三木富雄の「バラの耳」という作品の事だ。僕はこの作品が妙に好きである。なぜなのか、言葉で言えないが、好きである。作品の質が高いから好きなのか?と言われると、そういうことではない気がする。としか答えられないのだが…。で、僕もいつかああいう感じのものを作りたいと密かに思ったりもしている(ああいう物体を作りたいという意味ではなく、ああいう印象をもたらす何かを作り出したいということ)


三木富雄の作品全般に言えることかもしれないが「バラの耳」なんかも、どうも面白いものを作るぞ!と思って作られたものではないように見える。いや、そこを目指されてはいるのだが、それだけじゃない感じがある。それでもやっぱり「面白い」のは間違いないのだが、こういう「面白い」は目指されるべきものなのか?目指すことができるのか?


いや「バラの耳」だけは、三木富雄の作品全般からずれていて、ずれることが大きな目的になっているとすら言えるかもしれない。いつものアルミニウムの鋳造ではない素材である事などが、そう感じさせる要因かもしれないが、ここでは三木富雄がすごい自己言及的に、今まで積み重ねてきた作る事に対する自分のモティベーションだとか、制作開始されてからプロセス毎に「OK!」フラグを出すときの瞬間だとか、作品が現実のものとして現れてきて、最後「コンプリート!」フラグを出すときの感じだとか、そういうのを意図的に反復しつつ、そういうの自体を「亡き物」にしてしまおうとしているようだ。


三木富雄にとって、「OK!」フラグとか、「コンプリート!」フラグの結果が、通常いつものあの耳の造形になるのだろうと思うのだが、それの傍らに何者に拠っても統御されていない不思議な「バラ!」フラグの屹立(?)が、あるのだとしたら、そのフラグが何を指し示すのかわからないけど、その先に惹かれるものはある。…しかし「バラ!」フラグの立った作品というのは、なんか、「もう後が無い」感じも否めない。っていうか、最初で最後の1回しか使えないワザというか…芸術表現で「一度しか使えないワザ」もないだろ、と思うが。でもそういうのはやっぱり作品ではなく作家本人を問題にするから出てくる考え方なのだろうけど(生涯に一度の集大成とか…そういうの。最後に登場人物がすべて出てくるとか…。)そういう人間ドラマではない意味での禁じ手1回(すごいショボイ)っていうのなら良いのだろうけど、それも結局、「すごいショボイ感じ」自体に賭けられてるから駄目だ。。いずれにせよ。


…話を戻すが、ある意味バラが全てを台無しにしてしまう、というか、非常にどうしようもない事態に立ち至っているのだと感じられて、その事に惹かれるのだと推測する。…ずいぶん前にも書いたが、音楽で言えば、T.REXのGirls In The Thunderbolt Suitとかが、そういう感触に近いのだと思う。


…で、だから何?っていう感じなのだが、でもその「だから何?っていう感じ」こそが、大切なのだが。というか、三木富雄の作品は常に「だから何?っていう感じ」なのだが、そういうとき「だから何?っていう感じ」の面白さ自体に賭けているのだろう?と思われるのかもしれないが、…それは決してそうでは無い。と。そこだけは違うだと…。