ゴールド・ファルセット/プア・ファルセット Smokey〜Terence〜Prince


35th Anniversary Collection  T.T.D.  SIGN 'O' THE TIMES


Smokey Robinsonのファルセットはいつも完璧だと思う。ほとんど神の領域っていうか、同じ人間の喉から出てくる声とは思えない感じがある。まあ、黒人ミュージシャンで、濁りも混じり気も全く含んでいないような、この世のものとは思えないような類稀な裏声を駆使する人は多い。その高い技量に支えられた安定感のある声が自身満々で押し出される瞬間、それがソウルと呼ばれる音楽の質そのものとさえ言える。


Terence Trent D'Arbyは1987年、1stアルバムIntroducing The Hardline According To Terence Trent D'Arbyの最終トラックで、Smokey RobinsonのWho's Lovin' Youをカバーした。これは実に素晴らしい出来栄えのカバーで、僕はこれを聴くと、いまだに感動で胸が熱くなってしまうのだが、それにしてもここでのTerenceのファルセットも、もう非のうちどころがないほどの完成度で、かつ爆発的なシャウトやダーティでナスティな濁声とのブレンド具合も絶妙極まりなく、もはやこれは珠玉のソウル…というより他ないような比較を絶する輝きを帯びている。…のだが…。しかし、この素晴らしさは、やはりかつてあった栄光の素晴らしさに他ならないのだという事を、頭の片隅で感じない訳にはいかない。この曲の素晴らしさが現実に自分の身に迫れば迫るほど、「所詮ネオ・クラシック」と一言で片付けてしまう事の方が自分に嘘をついているようにさえ、感じられて複雑なのだけれど。


しかし、そうなるとやはり頭の中の、別の片隅から浮上してくるのはPrinceというミュージシャンの事で、彼について触れたいとの思いを禁じえない。よく知られているように、Princeは楽器もマルチでこなすしファルセットもシャウトも何でも使い分けるしソウル的にもロック的アプローチにも自在に対応するし楽曲の作りも千変万化と、まさに来るべき新たな時代を担うニューアーティストとしての実力を十二分に感じさせながらそのキャリアをスタートし、ポップミュージックを激しく揺さぶるような実験性と、キャッチー極まりないポピュラリゼーションの波状攻撃で80年代を席巻していった訳だが、…しかし、その歌声に注意深く耳を傾けてみよう。Princeのファルセットには、おそらくSmokey Robinsonの囁き一声が、滴り毀れるほど含んでいる芳醇で麗しい甘美なフレーバーを、微塵も含んでいないのだ。…急いで付け加えるが、それはPrinceのファルセットの技量的不足を意味しない。そうではなくて、Princeは類稀なミュージシャンズスキルとマインドを兼ね備えながら、同時に、自分がもはや、かつてのSmokey Robinsonや往年のソウル歌手が活躍した黄金の時代には居ない事を知っていて、その事を冷徹に意識しているのだ。この空虚さは、それを知った者だけが表すことを許されるような類のものだろう。


かつての、かけがえの無い豊かな資産はあらかた失われ朽ち果て、ソウルもディスコも消え去りラジオスターも殺され、夢の後にやってきたのはおそろしく殺伐としたMTVの喧騒と資本主義の不可逆的なショウビズの世界で、これからはこの生き馬の目を抜くベストヒットUSAな世界の只中で歌わなければならないのだという事を、プリンスは当時誰よりも厳しく自覚していた、おそらくは最初のブラックミュージックのミュージシャンだったのだと言える。


ジョージ・シーガルという彫刻家が、それまでの彫刻家がタブーとしてきた、生身の人体を石膏で象って、それを作品として発表したかの如く、プリンスはIf I Was Your Girlfriendいう曲で、自分のファルセットボイスを録音したテープを若干早回しして、ピッチを微妙に調整してバックトラックに乗せるという「禁じ手」をあえて使い、曲に仕上げている。そこでの異様な高音程の、非人間的とも不愉快とも感じられるような声質は、おそらくこれまでのブラックミュージックが、かつて一度も体験したことの無かったような、厳しくて冷たく貧しい、剥き身の「ニューソウル」が放つ、新しいファルセットだったのである。