「The Last Waltz」


ラスト・ワルツ〈特別編〉 [DVD]


初めて観たのは学生のときだったから、十数年ぶりに見た事になる。学生の頃は、今ほどザ・バンドサウンドはわからなかった。というか、当時の自分にとってあんまり必要な音じゃなかった。1stアルバムがすごく良い事はさすがに感じたけど、なにせあのカントリー風味がまずかった。…その筈だったのに今はもう、これのサントラばっか聴いてるんだから人の嗜好は変わるものである


まず、幾らなんでもロビー・ロバートソンがカッコ良過ぎる。ギターも上手すぎる。こんなカッコいいなら、どれだけ性格が悪くてもカネに汚くても唯我独尊でも許されるってもんだろう。というか役者だねえという感じ。この人だけが、ステージの虚構性をはっきり自覚してる感じ。そりゃ仕掛け人だから当然だが…。


監督はマーティン・スコセッシ。スコセッシは映画「ウッドストック」にも関わっている。一説に拠ると、相当編集等に深く関わったらしい。スコセッシにとってのロックミュージックとか、ロックフェスティバルというのは、ある一貫した考えに基づいて映画に仕立て上げられている感じがする。というよりアメリカの60〜70年代サブカルチャーを俺のやり方で残してやる、という気概が溢れてるというか、我々がその後、後追いで多少なりともロックの歴史に触れようとしたら「ウッドストック」も「ラスト・ワルツ」も避けられないだろうが、それはすなわちスコセッシが考えてるロックというものについて、後から散々ご教示されるという事に近いのかもしれない。


ステージで起こる事を、めくるめき、やがて消え去る何かと捉えていて、儚いがゆえにその瞬間だけはスポットに照らされひときわ輝く存在。スコセッシにとってのミュージシャンとかアクターというのは、そういうものに違いない。ラスト・ワルツのステージの凝りようもすごく、上からシャンデリアがぶら下がっていて下からはドラマチックに演奏者を照らし出す逆光ライト。異様に華やかで異様に空虚な空間である。


撮影は恐ろしく綿密な事前計画が立てられていたらしい。そもそも最初に、演奏する楽曲の歌詞を全て書き出し、このフレーズではこのカメラがこう寄って、この詩に差し掛かったらこのカメラがアップで…などというところまで、事前に事細かに決めていたと、別に収録されているオマケ映像の中で監督本人が証言していて驚いたのだが、それでも現実に繰り広げられたものは、事前の予想を遥かに超える複雑な豊かさであったのは想像に難くないが、それにしてもこの、徹底的に作り込んでしまおうという姿勢にはちょっと驚く。スコセッシもすごいが、ロバートソンもすごい。云わば、自らが葬られる葬式の段取りや手順を、異様に細かく決めているような状態で(しかも他のメンバーは未だ死ぬ気なんかないのに)自分のバンドを完全に殺そうとするべく、完璧な顔でギターを弾いているのだ。Wikipediaを読むと、演奏自体も相当差し替え・継ぎはぎされているらしい。…まあそれも不思議じゃない。全編、あまりにも完璧すぎる素晴らしい演奏である。各メンバーのパートの良さもさることながら、元々厚みのある全体のアンサンブルに加えてホーンセクションまで絡む立体的なアレンジが圧倒的。


十年以上前に観た時も印象的で忘れ難かったが、笑みを浮かべつつ口にされる、ラストシーンでのロバートソンの言葉「(夭折したミュージシャンの名前を挙げつつ)皆いなくなってしまった。そんな人生は不可能だ」…「不可能」という言葉の重さ。


ゲストミュージシャンも多彩で一々見所を挙げていたらきりがないが、個人的に心が震えるような思いに囚われるのが、「コヨーテ」を歌うジョニ・ミッチェルだ。丁度ジャコパストリアスらジャズミュージシャンと積極的に活動していた頃の筈で、リック・ダンコのベースに乗せて歌われるのも悪くないが、地上1500mのところを自在に飛び回るような同曲のジャコのベースプレイによる「コヨーテ」は比較を絶して素晴らしいので「Shadows and Light 」というライブアルバムを是非聴かれたい。


SHADOWS & LIGHT


…話がずれたが、あとは気合入りまくりのボブディランも素晴らしい。ヴァンモリソンの太り方もすごいが、パフォーマンスはやはり素晴らしい。ソウル・マンだねえ。。(スティーブンスティルスもデブだ…でもスティルスは偉い。クラプトンなんかより偉い)あと、ニールヤングの繊細な表情を観ていると、こちらにもその思いとか喜びが乗り移るかのようだ。(でも、このときのニールヤングはコカインきめまくってたそうだ。そう思って観ると、確かにヤケにハイテンションで楽しそうなんで笑える)