「稲妻」


稲妻 [DVD]


これは今まで観た成瀬の中でもかなり素晴らしい一本だと思った。ある作家の仕事にはまって連続して体験するのは楽しい事だが、一時の熱狂がやや醒めてきて「とりあえず手に取れる範囲の主要作品はあらかた観てしまったし初体験としては一巡したなあ」などと思い始めた矢先に「お前これも観てない癖に何云ってるの?」とでも云わんばかりの勢いで未見だった作品に衝撃を受けるのも大変嬉しい事である。「ああ成瀬だ」と思うと同時に「すごい!」という新鮮な驚きもある。自分が今までの記憶として固定させていた成瀬作品の印象のかなりの部分が、実は無意識のうちに何となくわかった気になってしまっていて、通り一遍なもっともらしい簡略イメージとしてしか保管されていない事に気付かされ、それらがほぼすべてリフレッシュされてふり出しに戻されてしまうのである。「印象がガラッと変わる」訳ではなく、あくまでも同じ印象の記憶なのだが、新鮮度の具合が一挙に総入替される。だから、とにかく観てる途中でも関係なく軽い興奮状態にさせられてしまい、その映画自体をたったいま観ているにも関わらずもう一度はじめから観直したいと思ったり、後でもう一度はじめから気持ちを入れ替えてじっくり観たいと思ったり、かつて観た他の成瀬作品もすべてもう一度改めてはじめから観たいと思ったりする。そういう体験である。


とりあえず家族とか夫婦とか恋仲とかの関係が上手くいかないとか仲良くできないとか、そういう状況を巡っての話であるから、ある意味では成瀬的なモチーフであるが、本作においては母親の浦辺粂子が生んだ4人の子供はそれぞれ父親がすべて違うという、如何にも上手くいかなそうな、やけに念入りな感じすら漂う設定で(復興期という時代の影響もあるか?林芙美子の原作である)、わざわざしつらえられたそういう微妙な距離感を持つ人間同士の配置と、さらにその亭主や死んだ亭主の元愛人や海千山千の怪しいチンピラ商人が、戦後のドサクサの中で、利権や保険金や色欲や何かを求めてうろうろと日本家屋の中を徘徊するんだから、もうどう考えても濃密な成瀬的フレイヴァーが充満して炸裂するに決まっているという感じだ。


何しろ登場人物たちが爽快なまでに駄目駄目な酷い人たちばかりで、…次女の旦那が死んだ葬式の最中にもう保険金の金額や分配について親族一同舌なめずりして相談してるわ、次女の三浦光子は事あるごとにすぐ号泣するが次の瞬間はけろっとした顔で階下に下りてくるわ、長女の村田千栄子は生きて稼ぐための狡猾さや図々しさを完全に自分のものとして引き受けており圧倒的な態度で周囲を押しまくるわ、保険金の分け前を要求しに来る中北千枝子は旦那の元愛人として転んでも只では起きぬという覚悟の形相で生臭さ丸出しだわ、もう全てにうんざりしてる高峰秀子は、ああ!何もかももうやになっちゃうなあ!それにしても小沢栄キモイしウザすぎ死ねばいいのにマジで!みたいな顔で始終イラついてるわ…と、これらの人々が素晴らしい勢いと振舞いで、映画の中を右往左往する。そういう映画だ。


もちろんそれは表層的には、戦後に封切られた数多くある映画のひとつなのだから、テーマとしては、ある家庭のどたばたした悲劇的な騒ぎであり、暗い世相であり、人間の業の物語としての後味を受け取れるし、それで見終わっておなかいっぱいになれるのだが、それとは別に「ある状態を映画としてこのように現し得る」という事のリアルな感触の、徹底的な反芻でもあるのだろう。同じことの飽くことなき繰り返しだけが可能にする特有の質感の醸成というのもあるのだろう。だからなんでもないような些細な瞬間に、やたらと濃密なものがたちこめるのだ。たとえば家屋の中でワンピースを着て柱に軽く斜めになって凭れる高峰秀子の長身がなぜあれほど「決まって」いるのか?というのはそういう作用が働いているとしか思えない。


それと、あと葡萄。…高峰のあの葡萄の食い方に心底惚れる。外に背を向けて縁側に立ち、手の中にペッ!と種を吐いて、後ろ手で、皮と種を軒先に向けて自分の肩越しに放る。それを延々くりかえす。すげえ行儀悪くて、もう死ぬほど感動する。この葡萄を食うシーンでは浦辺と高峰とが何か話しをしているのだが、もう葡萄を食ってる高峰の姿ばかり必死で見てしまい、結局どんな会話だったのかあんまり理解できなかったくらいだ。食った後、実の無くなった房の残りを皮や種と同じようにぽーんと後ろ手で肩越しに放り捨てる。その素早さにも惚れ惚れする。


しかし、なぜ葡萄を食うショットなんぞに惹かれるのか?映画と無関係に「ある女性の葡萄の食い方」の映像が魅力的だ。という訳ではないと思う。それに近いが微妙に違う。うっすら何かと関係している。ここでの高峰秀子の投げやりな開き直ったような、でも不思議な奥深い受容力もあるような、ざらついて荒涼としているけれども、失望や絶望とも違うような心のありよう、の予感みたいなものを、僕がそれを観て、勝手に思い浮かべているからだろうか?その後、小沢栄に汚らしく迫られたときの高峰は相手の腕を噛んで、その後汚い!ペッ!!という勢いで又しても唾を吐く。唾吐き女である。ここも良いなぁ。。全員の事を、ああもうこいつらマジでうぜぇなあ、という顔で見ている。もうたまらん。もう、今まで僕はこのブログで何度も同じ事を云い過ぎなのは重々承知しているが、それでも云わなければならないので云うが、高峰秀子の美しさはこの映画でもう決まり!という感じである。最後、根上淳の二枚目だけど何か白痴的な笑顔が救いのように映画の中に現われて、これで上手い事仲良くなれていつか幸せになれるといいね、とか思ってしまうのである。


ラストも良い。夜空に稲妻が走り、唐突に高峰と母親が和解して、そのまま並んで夜道を歩く。何の意味合いも解決も見晴らしの良さもない。只、終わる。それがいいのだ。