ハングアップ(hang-up)


インランド・エンパイア」せっかくだから映画館でやってる内に観ておこうと思い恵比寿ガーデンシネマまで行った。小雨のぱらつく薄暗い午後。映画館に着いてチケットを購入するときにはじめて今日が映画の日だと気付いた。


この映画がおおよそどういうものなのか、色々な場所で聞く色々な言葉から何となくは推測できるイメージがあって、おそらく僕にとって決して楽しくはない三時間だろうがとりあえず体験してみようじゃないかというある種の覚悟を決めて観に行った訳である。念のため座席も比較的出口に動きやすい端側に座って、最悪の場合途中退場して帰る局面も想定していたのであった。


で、作品だが、前半は思ってたよりも普通に面白いと思っていたのだが…そのうち不穏さや禍々しさや只ならぬ空気が密度をあげはじめ、音響の落差が徐々に強烈なものとなってきて、…やがて映像と音が渾然となって悪夢のような宙吊りの断片を断続的に放出させ始めるのを観ていたら、もう精神的ダウンが想定を遥かに越えてしまって、気分の不快さと恐怖がほとんど耐えがたく、あるシーンでのローラ・ダーンのちょっとした表情とセリフを境に「…う!ダメだ、耐えられない!」と判断を下さざるを得ない状態まで追い込まれた。。あの娼婦たちの部屋がはじめて登場する手前あたりでアウト。その後もワザと顔をしかめて目を薄く半開きにして画面をボヤケ気味にして何とか観続けていたのだが、想像を遥かに超える展開の異常さが尋常じゃないため薄目半開きすら中断。結局後半は完全に目を瞑ったまま、真っ暗闇の中で音だけ聴きながらずっと耐えるしかない状態になってしまった(笑)…そのまま眠ってしまう事ができれば最高だったのだが、あの音響だけでも充分に気持ち悪く、むしろ目を閉じた真っ暗闇の中で、あのどこまでも上昇していく弦楽和音と女の悲鳴を聴いてる方がある意味怖いような状態で、睡眠の世界に入るなどとても無理であった。。想定通り外に出る事も出来たのだが…やはり後方のドアを開けて光を入れたりするのが憚られて、結局、さっき聞いた怪談にビビリ上がったまま布団に全身を包んで狸寝入りの小学生みたいな状態を続けるしかなかった(36歳)…しかし映画の日だからか知らんが席は8割以上埋まっていたのだが、他の観客の皆さんはなぜアレらを平然と観てられますか??


まあ、僕は自分の中で「これが限界です」「天井です」と云ってギブアップせざるを得ないようなある種の境界線があるのだ。たしか10年以上前、オールナイトで色んなバンドやパフォーマンスが代わる代わる登場するイベントを友達と観に行った事があるのだけど、そのとき出演した、下着姿で口の中や肌の所々をインクかなんかで真っ赤にして気の狂ったような痙攣踊りをしてそのままステージにぶっ倒れたり客席を夢遊病者のように歩くような、そういうパフォーマンスを観たことがあって、それが面白いとか下らないとか以前に、その一部始終に僕は、もう完全に自分の内面を砕かれてしまって、完膚なきまでに打ちのめされ、そのまま半月以上、寝ても醒めてもそのイメージに苦しみまくった記憶があったのを思い出した。僕の描く作品のイメージを知ってる知り合いは、何故坂中がそのような事で深くダウンしてしまうのかが理解できないと言っていた。それは確かにその通りで、僕にもよくわからない。


…まあとにかく、僕はそういうのを観ると、まじで内面がやばい事になる。今回もそうだが「ああこれ以上観続けたら自分のこころが壊れるな」と冷静に判断できるくらいで、映画の場合でそうなると目を瞑るしかない。恐らく世間の人々は内面がそれなりにしっかりしてるのではないだろうか?僕は相当脆い内面の構造をしているので、ああいう異様に不安定なものがそのまま露出されると、簡単にシンクロするのか何なのか判らんが、一気に崩落レベルまでイッてしまうのだ。。だからあの手のモノはちょっと、今のところは体質的に無理としか判断不可能である。


しかし映画館でこれほど長い間目を瞑って音だけ聴いてたのは初めてであった。…まあ映画というのは長い歴史上で色々な側面があるもので、その要素の中には出来るだけ人を驚かせてショックを与えて、軽はずみに観に来たヤツをビビらせ後悔させてやりたい、という意志をビシバシ感じるような、限りなく悪意に近いような要素がある事もある程度わかる。別に本作がそういう映画だとは思わないけど、でもやはり実際にああいうオドロオドロシイどうしようもないようなアレを目の当たりにすると「悪いけど俺は付き合いきれないです」と云うしか無い。それが僕の今の限界である。…まあでもDVDが出たら懲りずに再チャレンジするつもり、小さい画面と適切に絞ったボリュームなら、多分大丈夫だと思う。後半の所謂「概略」の確認だけはいつか行うつもり。そんな事しても意味ないとは思うけど。


ちなみに云うまでも無いけど、こういう自分を「繊細」とか「自分の固有性」とか「無垢(笑)」だとはまったく思っていない事は明記しておく。それは単に耐性がないだけの事で、端的にみっともなく恥ずかしい事だと思います。映画が観客に放つ「悪意」なんていうのは歴史の中で夥しい程試みられてきたのに、その全てがほとんど鼻で笑われバカにされてスルーされてきたのであって、こういう風にマトモに反応しているというのは只の無教養な田舎者だけである。でも自分の恥ずかしい事を言葉でいっぱい書くのは楽しいなあ。