I Shall Be Released


なぜかよくわからないけど、アントニオ・ネグリという人が来日する筈だったのに、急に日本に入国できなくなったのだという。昔、政治犯とかで捕まったりした事があるかららしい。はじめて知ったのだけど、我が国、日本では「一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者」は、政治犯を除いて「本邦に上陸することができない」のだそうだ。で、入国を担当する部署があって、そこの人たちが、ネグリ政治犯として刑に処せられたことのある者なのか、それ以外で処せられたのか?が確認できるものを提示する必要を、ぎりぎりになって迫ったらしい。でもネグリや、ネグリを招致したい側にとって、それを提示するのはものすごく大変な事なので、やむなく来日を中止したという事らしい。


ちょっと笑ってしまった。入国拒否する側の人たちの手口が笑える。まあ僕が勝手に想像してるだけだけど、如何にもお役人みたいな、絵に描いたような杓子定規な態度で、ぎりぎりでダメ出しして、でも微妙に不可能じゃないくらいの余地も持たせて、四の五の云わせないで終業時間が来たらさっさと帰ってしまうみたいな、そういうのって、面倒なことを回避するのの最も効果的なテクだよなあ!と思った。


誰が何のためにそう決定したのか?が決して見えないあたりも、また期待を裏切らず素晴らしい。目的や責任主体の中心が欠落しており、諸事の流動の活発化だけが図られており、それゆえ突発的な傷害への影響を受けにくく、強靱な安定度で駆動し続ける事が可能なシステムである事が官僚制の本質なのだから当然の事だけど。司馬遼太郎は、官僚機構について「複数の人間の頭がすっぽり隠れるように、権力を上からふわっとかぶせたような状態」と言葉で表現している。これの実現って、云うは易しで、実際はなかなか難しい。日本の官僚は優秀だとは聞いてたけどさすがに違う。こういう人々がこれからもずっと日本の玄関を守ってくれる事をますます頼もしく思いました。


ところで僕は、アントニオ・ネグリという人ついては何も知らない。名前くらいは何となく聞いたことがある気もするけど、まったく知らなかったといって良い。このたびの一件でほとんどはじめてそういう人物がいるのだということを意識した。


そこで、よくわからないけどとりあえず、アントニオ・ネグリという人の著作について早速購入してみようと思った。買おうと思えば、インターネットで簡単に買えるので、こういうとき、あぁやっぱネットって便利だなあと思う。でもそれが良いことなのかどうか、それはわからない。っていうか実際、どんな内容の本なのか?僕の興味の範疇か?そもそも僕に理解できるような内容なのか?そのあたりも全然わからないし、つまらなかったり意味がわからなかったりする可能性も高いだろうし、もしかしたら読み終えて、あぁやっぱこんなロクでもないヤツを俺たちの国に入れなくて良かった!とか思う可能性もゼロではないかもしれない。。でもやはり、今のところ、そういうのは全然わからず、何かちょっと興味出てしまうというのが本音だ。


しかしよくよく考えると、もし仮にこれが何の問題もなく、アントニオ・ネグリという人が日本に入国できたとして、それでいろんなイベントとかをやったり出来たとしても、おそらく僕はそんなのにはまるで興味なかった訳だから、そういう人の事もそういうイベントの事もまるで知らずに過ごした事だろうと思う。でも今回の事で、僕はかえって、まるで不意打ちのようにそういうのに出会って、思わず興味をもってしまい、あまつさえ著作にも触れてみようとさえしているのだから、それって結構すごい事かもしれないなとも思った。かえって宣伝になってしまったとさ、というのは昔からよく聞くけど、…まあもしかすると入国を拒否した人もはじめから「それ狙い」なのかもしれない。なんちて!それはないか!いくらなんでも(笑)


たぶんアントニオ・ネグリという人について知る人は、日本国内に、僕を含めて、この件を通じて増加するだろう。もしふつうに入国させていれば、そんな事にはならなかったのに、拒否したからかえって、そういういくつもの「出会い」の可能性を生んでしまった。