肉親が死に、自分が生き残る物語


今日は一歩も外へ出なかった。夕方、何気なくテレビをつけたらCSで「機動戦士ガンダム」の1〜2話をやっていて、そのあと続けて「銀河鉄道999」の1〜2話をやっていた。懐かしさもあって合計2時間、思わずぽやーんとしながら見てしまった。。


ガンダムと999、どちらの話もお母さんの死ぬ場面があった。ガンダムではフラウ・ボウのお母さんが爆発に巻き込まれる。999では鉄郎のお母さんが機械化伯爵による人間狩りの餌食となる。


恐ろしいまでに悲劇的な場面である。こういうところから物語がはじまってくる、というところに、時代を感じてしまう。よく知らないのに言うのもアレだが、少なくとも00年代以降のアニメで、こんな風に、登場人物が物語の冒頭から、自分の肉親の惨たらしい死に直面するなんて事があるのだろうか?これはやはり、作り手の年齢と経験が影響するのではないだろうか?こんな風に肉親の死を経験する、という事が受け入れられている、というか受け入れざるを得ない空気が、まだ80年代初頭までは普通に残っていたということだろうか?(というか、ガンダムと999、どちらの話でも主人公たちは、最初の時点で死んでしまっても全然おかしくない状況なのに、なぜか生き残って、そこから物語がはじまるというのが、共通しているのだ。なぜか生き残っていて、そこから始まる感じ、というのは、今の時代の感覚ではもはや無いのではなかろうか?)