「Live」CV313


LIVE(直輸入盤・帯・ライナー付き)


週末に聴いたCV313の「Live」および「Live / cv313 @ D.E.M.F. - After Party In 2008」という2枚のCDがとても印象深くて、その結果「BASIC CHANNEL周辺の音楽ばかり聴きたくなる病」に感染してしまい数日経つ。CVC313というのは「BASIC CHANNEL以降のミニマル・ダブ最右翼」とも言われているそうで、まさにそれ系の、ただひたすらぼわーーーーっとした音響空間の中でリバーヴとディレイにまみれた音像がひたすらループされるだけのきわめてミニマルな音楽なのだが、でもこのCD一発でもう、自分はBASIC CHANNELという音楽ユニットについてかなりガッチリと「掴めて」しまったような気さえする。というかBASIC CHANNELの魅力にガッチリと捕えられた、という状況である。このような状況を招いたのはCV313のサウンドが素晴らしかったからで、変な話だが仮に、本家のBASIC CHANNELだけを何度聴いていても、僕はおそらく現在感じているようなBASIC CHANNELの魅力に目覚める事はなかったはずである。急いで付け加えるがこれはBASIC CHANNELよりもCV313の方がより見事なBASIC CHANNEL的的音楽をやっている、という意味ではない。言うまでもないがダブ・ミニマルとはある意味BASIC CHANNELの事なのであるから、比較してCV313の方がすごいとかいう意味で無いのは当然である。むしろ、BASIC CHANNELは音楽集団としてあまりにも偉大過ぎるというか、1ジャンル創設してしまったような存在なので、もはや古典というか、良し悪しを言う対象としてデカ過ぎる、というのはあるだろう。だからこそ、CV313のような、BASIC CHANNELに大きく影響を受けた、ある意味BASIC CHANNELの仕事を引き継いでいるかのようなミュージシャンによる、そのサウンドの実況録音盤であるからこそ、BASIC CHANNEL的な魅力というものが、改めてはっきりとわかったのだと言える。それはいわば、BASIC CHANNELという巨大な音楽の魅力の一部を、純粋抽出して過激に培養させたようなものであり、かつ、BASIC CHANNELという音楽のすっきりとわかりやすい見取り図のようなものでもあり、もちろんBASIC CHANNELという音楽へのきわめて鋭い批評でもある。そこにはBASIC CHANNELがつくりあげた世界を超えるものは何もないかもしれないが、その世界の可能性を大いに広げる力がある。CV313のクリエイティビティとはそのようなものであるだろう。


とにかくこのアルバムの臨場感はたまらなく素晴らしい。只ひたすら、滞留と遅延と混沌だけが支配しているのに、同時に、たえず刷新され続けているという感触。靄の掛かった、視界不良の、不明瞭の、耳障りなノイズの蔓延に包まれた宙吊りの中で、まどろみ、くぐもり、何も起こらず、何の抑揚もなく、遠ざかっては近づく心臓の鼓動のようなビートの反響だけを聴き続けるしかなく、しかしその時間と空間の、驚くべき濃密さ。それが今まさにここで起こっているのだという新鮮な衝撃。これぞ「ライブ」だと思うし、「録音」の意味というのは、こういう事でしかないとさえ思える。それと同時に、BASIC CHANNELにとっての音楽の拠り所が「vinyl(レコード)」にあるのに対し、CV313にとっての音楽の拠り所は「機材」であるのでは?というような「違い」みたいなものも感じた。