ミニマルの発見(「BCD-2」Basic Channel)


BCD-2


「ミニマル・ダブ」は、一体どのようにして発明されたのだろうか?電子音楽のミニマリスティックできわめて攻撃的な側面を、ダンス・ミュージックのフォーマットを用いたまま圧倒的な力で世界に知らしめたのはBasic ChannnelのMoritz Von Oswaldであろうが、しかしそれがMoritz Von Oswald一人だけの力による発明でなかったのは言うまでも無く、母国ジャーマン・ロックの豊穣な資産の影響は多大であったろうし、片割れのMark Ernestusに拠ってもたらされたデトロイトサウンドも極めて強力な導きであったろうし、そもそもデトロイトやニューヨークやシカゴのサウンドが既にドイツの音楽から多大な影響を受けているのだし、一方のダブにしても、ジャマイカのレゲエが発達していった過程を振り返ってみれば、ここにもやはり欧米の様々な音楽がまったく脈絡なく混じり込んでいる。そもそもレゲエのバックトラック共有やダブ・プレートといった慣習は、ハウスミュージック黎明期の状況に起きていた事態とほぼ同じとは言えないか。それはまさに異種交配を前提とした音楽であり、音楽制作の敷居がなし崩し的に下がってしまう状況であり、本来クリエイターだけが有していた特権性の瓦解であり、音楽の再生がそのまま発明それ自体とでもいうよりほか無い状況。であると言える。そのような状況において起源を辿るというのは実際、ほぼ不可能であるし、徒労である。ダンス・ミュージックの場合、その要素全てがぐしゃぐしゃの混沌の中で溶解してしまっても、人がそれを聴いて踊る、という根源的欲望への答え、という側面だけは、しっかりと残るところが、良いのだが。


ミニマルダブやハードミニマルの発見というのは、早いピッチで、あるいは神経質なビートの刻み方で、同じ事をただひたすら繰り返す、というような、少なくとも「形式」の発見、というものではなかった。では何が「発見」されたのか?それは、同じ事をただひたすら繰り返す、という事の中に、想像以上に沢山の事を圧縮して詰め込める、ということの、現実的な実感の発見にあるのだろうと思う。発見者本人にも明確にはわからないような、ぼんやりした、しかし確かな実感である。「どうやらこれは確かなものらしい。何度聴いても、そう思える。どんな環境でもある程度、再現性が見込めそうだ。少なくともオレ一人の妄想ではなさそうだぞ。」…と。そこがまず見出され、忘れられずに繰り返されて蒸留・熟成され、結果的にあのシンプルな「形式」は、おそらく一番最後に出てきたものだろう。最も効率の良いうつわとして、ほとんど必然として、あの「形式」しかなかったはずなのだ。


では、そのシンプルなループに、一体何が詰め込まれているのか?というと、それを言葉でさらっと言うのは極めて難しい。あえて言えば、「ダンス・ミュージックの歴史が」という事になるのかもしれないが、それをそのように言った瞬間、あまりにも大げさで、もう全然ずれてしまう。しかし、そこにあるのは「歴史」とでも言うよりほかないようなものなのだ。…あるいは、もっと抽象的に「ダンス・ミュージックとか、その手の音楽に関するかつての、すべての記憶」と言っても良いのかもしれない。それも微妙なのだが…でも「歴史」という言葉よりは「記憶」の方が良い。まだ「歴史」になる前のものだが、共有されうる力をもつ情報、としての「記憶」。…いずれにせよ、言葉で言うと、単なる言葉でしかない(当たり前)ので、歯がゆいのだが、そのようなものに人の気持ちを持っていくだけの力が、豊富に詰まっているから、面白いのである。