「ワラッテイイトモ」


古谷利裕さんの昨日の『ワラッテイイトモ』(K.K)についての日記には大変驚いた。あまりの驚きにわははははははははは!!と30秒くらい笑い続けてしまった。なんとまあ世界はこれほどまでに狭いのか、とも思ったが、いや、それはおそらく違う、世界は、決して狭くはない。そんな筈はないのだ。狭いなぁなどと、高を括れるのは幻想しか見てない証拠だと思う。そんな甘い妄想とは無縁に、どこまでも殺風景で、どこまでも捉えどころのない、何のとっかかりもきっかけもない、踏ん張るべき足場もない、小休止に最適なちょっとした場所もない、おおよそ何もないような、感情のやり場さえ無いようなこの場所が、世界というものであるはずだ。しかしそれと同時に、何だかわからないような、異様な関係の連鎖とでもいうよりほかないような、まるで宿命みたいな、運命の赤い糸みたいな、こうなる事はさいしょからすべてわかっていたのよみたいな、宗教みたいな、因果律みたいな、占いみたいな、ほとんどオカルトすれすれの、何がしかの緒力の拮抗が、あちこちで作用しているような場所であることも間違いないのだ。その不思議さだけが、生きていて感じる現実というものなのだ。


YouTubeで『ワラッテイイトモ』を観た。この映像作品は2003年当時、キリンの受賞作品展で参考上映されていたのを僕は観ているのだが、そのときは音声無し+映像の大部分にはモザイク、という形で、会場に備付けられた小さいテレビモニターでの上映で、「いいとも」映像以外のシーンは普通に上映されたので、その箇所だけは観ている筈で、ラストシーンなども覚えていたし、全体から漂う感触、というか雰囲気的なものだけはかろうじて感じられたが、しかし当然の事ながらそれ以上のことはほぼわからなかったし、今となってはほぼ忘れてしまっているので、全貌をちゃんと観たのは今回がはじめてだった。観終わって、とにかくすさまじい傑作としか言いようが無いと思った。前半はものすさまじくテクノ的で、反復と切断の暴力性が圧倒的に素晴らしい。後半はオーバーラップなどが多用されて静寂な狂気へと誘われる感じ。5部構成であることもすごく効果的だ。凄すぎて何度でも観てしまう。