草上の昼食


祝日の公園は沢山の人々でにぎわっていた。家族連れやカップルや、一人で昼寝したり読書したり、犬の散歩や、キャッチボールやサイクリングや何かを、皆思い思いに楽しんでいる。日差しが強く、木々の木陰にはいくつものピクニック用シートが敷かれ、その上で寝そべっている人たちも多い。


歩いているすぐ脇の芝生にシートを引いた、相撲の力士かと思うほどたっぷりした体躯の女性が腹這いに寝そべっていて、その大きな身体を包むTシャツがひどくゆったりとしていて、丸首の下が大きく開いていて、薄暗い影の下で胸元の胸の谷間がすさまじいほど丸見えになっていたところを、偶然目にしてしまう。突如としてあらわれた女性のものすごくふくよかな胸の谷間で、虚をつかれた思いの僕はおもわず「お前は19世紀か!」と心の中で突っ込みを入れてしまった。


いや、しかしなぜそこにいきなり出現したふたつのおっぱいが「19世紀」なのか。自分の条件反射として出たその言葉の方がよほど不可解だ。たぶん僕はその公園の程よく整備されて快適な森林の緑を浴び、降り注ぐ太陽の光を感じ、周囲に戯れ憩うたくさんの人々を見て、楽しげな声を聞いていて、おそらく無意識のうちにその場所を、すごく適切にコントロールされた場所、と感じていたのかもしれない。如何にも市民社会で、如何にも市民の社交と憩いの場だと。考えてみれば「公園」というのは、市民社会をもっとも象徴する場ではないか。ここに憩うという時点で既に僕は近代人なのだ、ということを無意識のうちに感じていた…。そしたらそこに、いきなりふたつの荒々しい乳房の露呈、ということで「うわー前近代!」と思ったのだろうか。


いや、それもかなり苦しい後付けの理屈に過ぎない気もする。というかあんまり理屈になってない。っていうかたぶん単純に、マネの「草上の昼食」だから、そう思ったのだと思う。今そこでおっぱいを出したらそれは「草上の昼食」だろ!という突っ込みが、なぜか「お前は19世紀か!」というかたちになってしまった。


草上の昼食はたしかに19世紀なのだが、でも前述の光景を見て草上の昼食を連想したのならむしろ「お前は20世紀か!」と言わなければならないのだろうか?その方が適切なのだろうか。よくわからない。でもマネの絵の背景はおそらく近代の公園ではなくて前近代の森の中ではないか?というか、そこにいきなり裸体があるのは、19世紀に属することなのか20世紀に属することなのかどちらであろうか。


でもよく考えると、普通に「公園で裸体」なら、おそらく20世紀で戦後で60年代。というオチが一番ありがちなパターンのような気がする。そこに陥らず、マネを呼び起こした時点で、僕が観たあの女性の胸の谷間はやはり、何かがひと味違ったものだったのかもしれない。そういう出現をそのまま受け止めるべきで、時代とかアイテムとかで類型的に考えるべきではない事なのかもしれない。