妙齢


Perfumeを相当ヘビロテで聴いてたのは2006〜7年あたりで、それ以降急速に興味を失った。ポリリズムでブレイクした当時で既にあまりにもベテランっぽくて、下積みが長い事の弊害というか、場数をこなしてきたメンバーの鍛えられた現場感覚と瞬発力の、実績や経験に裏打ちされた実力の成果が、すべてのショウビズ的場末的な徒労疲労感の醸成に拍車をかけていて、こんなストリップ劇場のステージを知り尽くした大ベテランを見るような強烈な安定具合は直視できないのでちょっとカンベンだわ、と思った記憶がある。最初はちょっと新鮮だったとしても、何年も経つとやはり色々な事が上手くなって、こなれてしまうという感じがどんどん強くなって、踊りや振る舞いやしぐさや表情や、そういった何か、メンバーがいる事で醸し出されるすべてのイメージが、あっという間にこなれて、驚きや新鮮さをなくして、かわりにスムーズな機械的手順の洗練だけが進行していって、それが自分にとってのPerfume縁の切れ目というか、急速に興味を失い始めたきっかけだったのだが。しかしそれにしても最近のPerfumeはなぜ、あれほど場末感とくたびれ感と水っぽさを漂わせているのだろうか…。そう思うのはもしかして僕だけか?…っていうか、もしかすると、それっていわゆる「十八歳」とか「十九歳」の女性が、「二十二歳」とか「二十三歳」になりました。という感じの事を指し示すのだろうか??いわゆる「キレイになったねー」とか「大人っぽくなったねー」という感じでもあるが、同時に「えっと…だねぇ」という、言葉にするのをあえて自粛してしまうような、そういう(妙齢の?という言い方で良いのかわからないけど)女性一般から受ける、ある種の感触の事なのだろうか?こういうことを書くのは、まあ、ある意味とても下品な事だと思うけど、いや、でもそれ(そういう変容そのものについて)って、別に悪くはないと思うけど。妙齢という言葉の意味をよく知らないのだけど、いわゆる皮肉で使われるのだろうか?僕はこの言葉はそんな意味では使いたくないな。なんかもっと肯定的に使いたいな。時間が経つにつれ、なんとなく、興味がなくなってしまうような感じって、なんか、良いよね、という話をしたかった。