上戸彩


地下鉄の入り口に入る手前で、よかったら酒でも飲んで行かないか?ちょっと付き合えよ、とその人に言われて、それがすごく嬉しくて嬉しくて、はい。行きます!わーい!!やったー!と思い切り叫んでしまって、そのままふざけた調子で相手の腕にしがみついたら、うわぁ、なんだよお前は!やめろよ変態かテメーは!!とその人が怒ったので、へらへら笑いながら手を放した。それで、そのままガード下の汚い店で差し向かいに座って飲んだ。僕はもう、そうやって二人で飲めるのが本当に嬉しくて嬉しくて天にものぼるような気持ちで、麦酒をぐーっと飲んでもちろんすごく美味いのだけど、その美味さもほとんどあまり感じないくらい、今のこのシチュエーションが嬉しくて、それで、そのまま自分が上戸彩になってしまえればいいのにと思った。なぜなら、その人は上戸彩のファンだからだ。ああ神様!一度だけ、願いをかなえていただけるのであれば、今日一日だけ、いえ、一時間だけで結構ですから、この僕を上戸彩にしていただけませんでしょうか?それがかなえば、僕の向かいに座ってるその人はきっと、すごい喜んでくれると思うんです。ほらよく、テレビなんかで誰かが急にイケメンになっちゃうような感じのヤツでお願いしたいです。何とかなりませんか?だって、その人はきっと、僕なんかと一緒にいてもつまんないんです。僕なんかよりも上戸彩とサシで飲めた方が、ずっとずっと楽しいに違いないんです。それに、上戸彩みたいな芸能人と二人で酒が飲めるなんて、後々すごく良い思い出になるでしょうからね!だから、神様どうかお願いです…とかなんとか、ばらばらにほぐれた思いがいつまでも頭の中でくるくると渦を描いていた。


そしたらしばらくして、どうやら願いが、あっさりかなってしまったようなのだった。僕は確かに今、上戸彩だった。ふと下を見たら、着てる服が可愛い感じで、その洋服の下の自分の痩せた小さな身体の感触を感じて、白くてか細い自分の両手をじっと見つめて、ああこりゃおそらく今、上戸彩なんだな、と思った。


さあ今なら、目の前のその人に、この姿で、どれだけ喜んでもらえる事だろう!ああ嬉しい!その人がよろこばない訳ないんだ、気に入らない訳ないんだ。だってそうでしょう?…はじめまして、私は上戸彩です。お酒、まだありますか?頼みましょうか?飲み方どうしますか?今日はもういいからたくさん飲みましょうよ!ね?ずっと一緒に飲みましょうね。私が、すぐ横で、何杯でもお酒をついでさしあげます。焼酎にしますか?チェイサーと氷ももらいますよね。食べたいものも言って下さい。メニューこっちです。なんでも注文しますよ。言ってください。すいませーん!すいませーーん!!注文いいですかーー!!大声出さないと店員さん来てくれないですね。おいしいですか?毎日大変ですか?ゆっくり飲みましょう。楽しんでますか?くつろいでますか?たくさん酔っ払ってくれていいんです。私がずっと、おそばにいますから。


店を出てからしばらくして、やっぱり悪いから。と言って、もう一万円払って、そしたら財布の中に昼食のときもらった蕎麦屋の生ビール割引券が入ってたのに気づいて、あ、じゃあサービスでこれも、とか言ってふざけて差し出して、そのままふたりであはははと笑った。