グリップしない


あの人が私を救ってくれた。私が今こうしていられるのはあの人のおかげ。みたいな気持ちをずっと抱えて今まで生きてきました。あいつだけは決して許さない、いつまでも呪う、命ある限りあいつを恨み続けてやるとかつて固く心に誓いました。しかしそのはずなのに、いざその相手と対面したら、万感の思いが溢れて、なんて事は全然なくて、嬉しさも懐かしさも愛情も感謝も、そういう類の感情がまるで湧き上がってこなくて、なんだか妙に淡々とした気分で落ち着き払った感じの態度になってしまって、その余所余所しさが何か韜晦とか照れから来るものならまだわかるのだけど、そうでもないらしい事にわれながらやや狼狽して、いくらなんでも少しは感激しろよと自分で自分を煽ってみもするのですが、結局濁った沼のような静けさでこころが凝固するのをなすすべなく見ているだけみたいな感じになってしまいまして、今までさんざん蓄積してきたはずの、怒りや呪いや恨みに類する感情も、なぜかまるで沸き起こらず、あれ?おかしいぞ。こんな筈ではないのにとあわてて、まるで女性を前に性的不能に陥った男子のように情けなく狼狽して、それでも何とか場を取り繕うとして、その取り繕いとはすなわち相手に対して激高するあるいは口汚く罵倒し喧嘩を売るといった行為で実践されるべき本来のかたちへと取り繕うわけで、その気はあるのに、なぜか現実にそのモードへ行けない。何かが違う。何か根本的なボタンの掛け違いをしている気がして踏み切れない。相手を恨むこと、憎むこと、感謝の思いを口にすること。愛を表明すること。その場において求められている行為を為すこと。それらすべてが、本来自分の中にもともとあった欠落の感触、強い悲しみをともなう失われた何かへの渇望を満たすためのかろうじての一歩としては、あからさまにズレているとしか思えなくて、そのことが強い躊躇として次なる行為を阻む。