思い


客先へと向かう電車の中で、僕ともう一人、とくに話すこともないので、二人押し黙ったまま、つり革に掴まっている。いつもそんな感じなので、それでとくに気にしなくても良くて、二人ともそれが一番ラクである。ぼんやり窓の外の景色や車内の様子を見ている。そういうとき何かを見ているのがとても面白い。一人で見てるのとは違う気安さがある。一人で何かを見るということは、自分も見返されるということである。そこではどうしても対象と対等な関係性が生じてしまうのだが、二人でいながらそのやりとりが停滞しておりそのことに何の対処も為さず気まずさも気遣いもなく、退屈をもてあましたままお互いの間に挟まれた空気をただ放置させているようなときにだけあらわれる時間の中で、あてどもなく視線をさまよわせた先に見えるものが、いつもとても面白い。ものを見るのはそういうときだけが面白いと言っても過言ではない。だから色々遠慮なく内外をじろじろと見回している。暇だし退屈だし、きょろきょろするくらいしかないからしょうがない。自分の視線のさまよいそれ自体に気持ちをのっけて遊んでいる。でもそんな風にしてると、それまで長いことずっと黙ってた相手が、何かの弾みにふいに喋りだすこともあるので、そうすると僕は漂わせていた視線を相手に戻す。おれこの辺昔住んでたことあんだよ。へえこのあたりにですか、いつ位ですか?すげえ昔。全然今と違うよ、すげーかわったなぁこの辺。まじですか。この辺人気ありますよね若者とかに。そうだねえ。渋谷とか近いしねえ。・・・さっきまでの沈黙との落差の大きさを薄く感じながら話している。でもやがてまた黙る。付け足しのようにお客さんの事務所って駅から近いんでしたっけ?と聞いたら近くないねぇと言うので、じゃあタクシーですかと聞いたら、いや歩き歩き。と言って、深井さんは歩いてたんだよねえと言う。えーそうなんですか、あの人歩くの好きかもですよね、と言ったら、そう結構すごい歩くんだよと言う。そのあとまたしばらく沈黙する。またしばらくして僕から、担当者の人ってたぶん僕全員初対面ですけど電話の人って今日いらっしゃるんですかねと言ったら、ああいるでしょ、あの人深井さんのときからずっといるからねと言う。そのときの顔を見て、ああこの人いま、死んだ人のこと思い出してたんだなとわかった。