無抵抗主義


書く事をごちゃごちゃと考えながら書く。考えながらというか、書きながら、その都度それがそれで良いのかどうかを考える。だから、考えるというよりは、毎回後で自分のしてしまった事をかえりみて、それが一々どうのこうのと後になって思っているだけ。ある意味で、ほとんど無抵抗というか、何もできていない。自分にとって書くとはただ、なすがままというか、受身というか、その実態は完全に他力本願である。他力といっても自分が書いてそれを自分がなすすべもないという以上、一応それは自力なのだが、自力が他力としか思えない状況というのが僕にとっての書く事の普通なのだ。次々と襲い掛かってくる大波小波を上手く捌いて何とかかたちにできるかできないかというそれだけで、それ以上でもそれ以下でもない。大波とか小波を捌かなければならない理由にまだ手垢が付いてないからこうして無邪気にやれるのだろうという予感もある。…という事で、色々と思いながらも、今まではそれをとりあえず、一日分のひとまとまりとして、書く事をごちゃごちゃと考えながら書きながらも一時間か二時間程度で、なんとかもっともらしいかたちにまとめて(まとまってるかどうかハッキリしないけどそこを自分が面白がりながら)ここに出して、その後でちょっと忘れた頃に読み返してみたり、そんな事をここ一年か二年繰り返していたような気がするが、これからはもう少し長く、一回が数時間やそこらで終わるのではなく、何日か何十日か、わからないけど多少の時間をかけて何度でもやり直したり付け足したりばっさり消したり、という作業を思い切り気の済むまでやってみたい。とにかく何日も掛けて、何度もやり直したいという、以前からの思いを実施してみたいと思う。単に何かを見た、あのとき一瞬だけこうだった、あのとき光った、そのときだけ足元の雑草の生え際のところまで染まった、みたいな、ほんの些細な事から、何かがどのくらいの分量と奥行きでどのくらいのひろがりをもって立ち上がるのか、また世間ではおおよそどのくらいの、何万何千万里の距離とよほどのカネを必要としているのか、とか、そういうのを知ったり試したりして、何時間でも何日でもあくせくと試行錯誤しながら考えてみるような、そういうことが自分にもできるのかを、自分で知りたいという気持ちがある。