ガラスの向こう側の、真っ黒に酸化して朽ちかけた金属のような展示物を、熱心に眺めていた男性が、連れの女性に話しかける。「奈良時代、8世紀って、書いてあるけど8世紀なのに、こんなキレイな円形とか、どうやって作れんのかね?」8世紀といえば、西暦700年代。いまから約1300年前だ。1300年前に、このような正確な円形があるのか?と一瞬不思議に思って、その男性は思わずそれを連れの女性に対して、口にしてみたのである。しかし言ってすぐに、いや円形はあるだろう。きっと何千年も前から円形はあってもおかしくない筈だと思いなおした。「あ、でも別にあるか。昔でも円くらいあるか。」でも、それにしても1300年前って、何の根拠で1300年前なのか全然わからない。でもじっさい1300年前に、この円形をどうやって作ったのか。作る前に、最初に書くだろうけど。紐を支柱に結んで、ぐるっと一周させて線を引いて、その通りに切り取ればいいのか。もしくは、ろくろみたいなものを使ったのかもしれないが。ろくろは最初に書かなくても、いきなり一発で円が作れるからすごいといえばすごいと思った。まあ、いずれにせよやり方は、別にどうでも良いのだ。やり方云々よりも、今だろうが1300年前だろうが、同じやり方をすればとりあえず結果として円形ができて、ちゃんと同じ成果が得られるという事のほうが、嬉しいことなのかもしれないな。男性はガラスケースの前で展示物を観るでもなくぼんやりとした頭のままそう思った。要するにきっと、同じやり方がずっと通用しているという事だ。きっと多分もう、2000年くらい同じなのだ。いやその根拠もないか。同じだった証拠はない。もしかしたら1300年前は、今と違って手書きとか相当ラフなやり方でも、ほぼ正確な円形というのは人間にとって容易く作る事ができてしまうようなものだった可能性もなくはない。普通に線引いて丸とか真っ直ぐとかが当たり前にできれば、紐とか定規とかもいらないし、ろくろなんてまったく無駄だ。でも単に、ここ数百年でそういう当たり前の事が当たり前ではなくなってしまい、今までのやり方が劇的に通用しなくなってしまって、正確な円とか線とか、そういうのはもう基本的に、人間から離れてしまって、人間が普通に制御できるものではないと考えた方が良い類のものに変わってしまっただけなのかもしれない。だとしたら、それは人間が変わった訳ではなく、人間の制御能力とか技術力とか器用さとかが変わってしまったのでもなく、人間と人間以外とを繋ぐ媒介の部分が変質してしまった事に由来するのかもしれないとも思った。ところで連れの女性は「8世紀なのに、こんなキレイな円形とか、どうやって作れんのかね?」と男性に聞かれてもその質問の意味をとくに深く考えるでもなく「さあ…」と答えただけで、数秒後にはもう別の事を考えていたのだが。と言ってもさっき見た国宝の秋冬山水図が、なんであんなにカクカクとしてるのか、それだけをさっきからずっと考えていた訳でもないのだが。なんとなく嫌な感じに思っただけでそれ以上深く考えていたわけではなかった。国宝というのはそもそも何なのか、それがまずあるとして、この博物館に来たのは久しぶりだけど、でも一年に一回くらいは来てると思う。混んでるときは来ないけど、こうして何もしてないときにふらっと来て散歩するみたいに観てるのがいいのだ。でも今日はちょっと寒すぎる。コートを通り越して冷たい風が地肌に直接あたるような寒さだ。なにか身体的に警告のフラグが立ちそうなくらいの寒さだ。そういえばやっと少しおなかが空いたかもしれないけど今日は胃が荒れている気がしてあまり食べない方がいいのかもしれない。帰ってからまたいつもみたいに早めに食べ始めたらまた早く寝てしまうのかもしれない。雪舟は、この博物館では前も観てるし、今まで何度か観てる。行けばなぜかよく展示されているのだ。でも国宝というからには日本を代表するような日本を象徴するようなものを無意識に期待するものだと思うけれど、秋冬山水図のあのカクカクとした感じはどうにも肩透かしを食らった気持ちになる。ゴツゴツとした感触で、なんか日本っぽくないと感じる。古今和歌集のあのやわらかい文字の流れるような感じとか、墨の朦朧とした感じとか、ああいう淡い繊細な感じの方が日本という感じがする。うたを詠んでそれを貼り付けてあるヤツなんか、何が書いてあるか全然読めないのにすごく良いと思う。ああいうのなら好きなんだけど雪舟はなんかマンガみたいでかなり白ける。「なんか雪舟ってカクカクしてるね。なんかあんまり私好きじゃないかも。この松の感じとかも枝ぶりとかが。」いや、雪舟はやっぱりこれは日本の美術の歴史のもっとも要な部分だからね。これはやっぱ、国宝ですよ。それにしてもこの、真ん中を稲妻のように縦に切り裂いてるこれって妙だよなあ。まるでここだけ、描かれてる紙に直接亀裂が入ってるみたいだし。でもやっぱり絵の方が全然あたらしいものだな。雪舟なんて室町時代だしな。さっきの曼荼羅でもやっと鎌倉時代だから、やっぱり絵は全然最近の発明だな。っていうか「発明」って言う時点でかなり新しいし。円の作りかたですら時空を越えて歪んでいくのだとしたら、発明の成果なんて今だけしか効果ないかもしれないし。だとしたら今見て良いとか悪いとか言ってるのも結構空しいといえば空しい話かもしれないし。まあでも確かに今も昔も円が円である事自体は変わってないっていうのは確かだから、その事だけは観る意味はあるとは言えるな。観る意味がないという事の証明はできないよな。まあこんな話してたら「証明」だってもはやすっかり無意味なのは当たり前だけど。円を円と思える事を、証明でない何かで観て確認しているっていうことなんだろうけど。