株式会社バプテスマ


今日、とても印象的な問い合わせ電話があった。


僕がモニタに向かっていて、僕の背後には今泉が立っていた。そのときは仕事の話をしていた。僕の仕事はソフトウェアサポートの窓口である。電話や電子メールでソフトウェアの使用方法や設定方法とか、不具合や疑問点や不明点など、様々な問い合わせがくるので、その内容を調べて回答を送るのだ。


その問合せを承った後で、昨日の出来事の一部が壊れた。処理が正常に流れないのだという。処理中のメッセージが出て、しばらくして、応答がありませんと出る。


午後四時を過ぎて、昨日の記録との不整合が次々と発生し始めた。僕は昨日、僕は昨日、僕は昨日、出社して、午前中は会議でした。


結局今日も、いつもと何も変わらなかった。僕は今日、いつものように出社した。僕は昨日の夜に検証サーバをアップデートして帰りました。僕は昨日、僕は昨日。


今日、ものすごくデジャヴだったと、二階フロアで電話対応している女の子がつぶやいていた。何がデジャヴだった?と聴いたら、今日問合せの電話の内容が、ぜったいに前に聴いた話だった。それで、話してる人も同じ人だったし、私も同じシチュエーションだった。とのこと。


今日から僕は母のことを私と呼ぶことにした。母のことをどう呼ぶのか?それは、自分の設定ファイルの値を皆がこっそりとある一時期のあるときに書き換える。「ママ」とか「お母さん」とか言ってたのに、ある日急に「母さん」とか「お袋」とかになる。


自分をどう呼ぶか?もそうだ。僕は、僕なのか、それとも私なのか、それともまた別の呼ばれ方で呼ばれるべきなのか。自分が自分の自意識を変更することで、自分が自分の自意識を制御している姿があからさまになるのは恥ずかしい。


僕は今、秋葉原にいる。僕は今、浅草橋にいる。僕は今、武蔵小杉にいる。僕は今。


今泉はいつも寡黙な男だ。そして今泉は、いつもの彼らしく、早くから覚悟を決めていた。自分もまた、同じ運命を辿る。いやむしろ自ら、その方向を選んで歩くことにしようと。そう決めて歩くことで、きっとそれを、彼自身とはまったく無関係な場所において、誰かが祝福するに違いない。むなしいほどあっけなく消え去っていくその有様を見ながら、今泉はこのとき、そのように決意したに違いない。


愛する人を失うのはとても寂しい。よく知っていたはずの時間をうしなうのは寂しい。


そのほかの登場人物が今、集まってきた。皆が、駅の向こう側に向かって歩いていく。