湯島止まり


絶対に運転見合わせだろうと予想していた日比谷線が動いていたので、今日は思ったよりも普通に帰れそうと少し安堵してその後中目黒から何事もなく無事に日比谷まで着いたのに、乗り替えた千代田線の動きがおもわしくなくて、ああ、今日は千代田線だったかと情けない思いでがっくりきた。乗っていた車両は結局湯島止まりになってしまい、後続電車が来るからそれに乗れとアナウンスがあったけど来た電車は案の定すさまじい混雑で、これじゃあしばらくは帰れないなと思って、仕方がないから改札を出て出口へと続く階段を昇り始めた。そしたら絶妙なタイミングというかこちらをあざ笑うかのように雨がざーざーと盛大に降っていて、その日は傘を持ってなかったので思わず苛々とむかついたが、まあいいや濡れてけと思ってそのまま濡れて歩いて上野方面まで。一分もしたら水を被ったみたいに全身ずぶぬれになり、髪の毛からはしずくがぽたぽたと頬や顎に落ちて、そんな自分の姿にますます苛々して、全身ずぶ濡れのままむかつき度は俄然高まった。しかしここでふと良いアイデアが浮かんで、ああ、せっかくここは湯島なんだから、久しぶりにデリーに行ってカシミールカレー(ベリーホット)でも食べようじゃないか。今日はそれを夕食としようじゃないか。そうか要するに、ここまでの展開というのはその伏線な訳で、きっと何か大きな力によって僕がデリーに導かれて、こうして酷く濡れてまでも僕は導きによって歩かされているんだな、と思って、そのように自分を納得させたら少し気分も晴れやかになり、少し足取りも軽くなって歩いているうちにすぐデリーの店の前に着いた。しかし、ドアを開けて、ずぶ濡れの異様な体でカウンターに座ってハンカチで顔や頭を吹きながら鞄の中の財布をちらっと確認したら、なんと小銭入れにも札入れにも、全然持ち合わせがないことに気付いた。カードは使えないしこの時点でもうどうしようもない。すいませんまた来ますと言ってすぐに店を出る。阿呆みたい。むかつき度は、ついさっき頂点を迎えて、今は既にもうなだらかな下降傾向にあった。もう今日はどうでもいいや、べつに今日死んでもかまわないという投げやりな気分で、そのまま上野駅まで歩いた。途中銀行のATMで金を下ろし、結局よく行く丸いカウンターを取り囲んで坐るような形の小さな飲み屋に入った。いつもいる店員がこっちに気づいて、いらっしゃいませーあぁこんにちわー地震ー電車大丈夫でしたー?と聞くので、いや千代田線が湯島どまりですよ、だから来たんで。と言った。思ったよりも強い調子の吐き捨てるような言い方になってしまい、あぁやべえと思ったが、店員は別に気にもしないようで、うわあマジっすか、千代田線止まったってよ!おれらもやばくない?とかなんとかカウンターに内側で盛り上がっていて、他の客もそのやり取りを聴いていたので、変に大ごとにとらえられても困ると思いちょっと訂正の意味もこめて「いや、後続の電車も来てるんですけどーでも混んでて乗れなくて」と、店員と周囲の客の事も意識したような感じで続けて喋ったら、店員はああー!そうですよねそりゃそうですよねーと激しく同意して、でも仕事が忙しいらしく厨房の奥へ消えていったりまた戻ってきたりばたばたしていた。僕はとりあえず着てるコートやズボンの濡れたのを気にしながら、ぼんやりと外を見ていた。余震が、途中またけっこう強めに揺れた。僕も気付いたし、一人で静かにしてる客はみんな気づいたようだった。喋ってる二人連れとか店員とかはあまり気付かない。こんなに揺れても気づかないもんなんだなと思った。まあどこで揺れるにしても嫌なものだ。とにかく雨がやまないかなあと思って外を見てた。ずいぶん小降りにはなったようだが、路面のアスファルトはまだ黒く光って信号や看板の光を反射させている。クルマのワイパーはすでに動いてないようにも見える。しかしいずれにせよドアのガラス越しにはあまりはっきりとはわからない。店は結構混んでいた。いつも混むときは混む店だが、いつも以上に注文がひっきりなしにあって、店員が目まぐるしく働きっぱなしだった。僕はさっさと中々のロックを二杯続けて飲んで店を出た。どうもいつもありがとうございます。お気をつけて。あの方にもよろしくお伝え下さいと言われた。あの方とは、元同じ会社の人である。今は上野とは全然別のところにいる。僕も最近上野にはたまにしか来ない。でもこの店には、別に来ようと思ってる訳でもないのだが、なんだかんだで一か月か二カ月に一度は来てる事になるかもしれない。御徒町の方のもっと行きたい店には全然行けない。


店を出て上野駅構内を歩く。人通りは多い。そして薄暗い。いま東京はどこも薄暗いけど、上野駅の薄暗さはなんとなく雰囲気に似合っていてなかなかのものだ。日比谷線に下っていく階段も暗い。こういう暗さはなんとなく懐かしくもある。


そのあとはとくに混乱もなく普通に家まで帰れた。


さっき気付いたけど、小銭入れの内側に千円入ってた。これならデリーでカシミールが食えたじゃんと思った。でもビールも頼んだらアウトだから、やっぱダメだ。ああやっぱり結局ダメだったんだと思ったら、また今さらのようにむかついた気分が赤々と光る種火のように蘇って来た。